つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

『去年の今日』(長島有里枝・著)『いのちのパレード』(恩田陸・著)『可哀そうな蠅』(武田綾乃・著)

昨年末から年明けにかけて読み、感想が下書きに保存したままになってたこちらの三作品、今頃ですが簡単にまとめました。

『去年の今日』(長島有里枝・著)

主な登場人物は、40代後半のライターである未土里とその息子の大学生の樹木、未土里のパートナー・

家族の愛犬「PB」が突然亡くなってしまい、それからの日々を、それぞれの視点で、家族や愛犬への思いが綴られている連作短編集。

程よい距離感で相手を思いやる気持ちが伝わって来る話だった。

 

子供は苦手であり、ずっと家庭を持つつもり無く生きてきた睦と、樹木との、手探りのような遠慮がちな会話とその距離感が読んでいて心地よかった。

樹木は、高校卒業直前でのコロナ緊急事態宣言で、卒業式も入学式も中止になり、大学の授業もずっとリモートのまま。

3歳の頃からずっと一緒だった、妹のような存在だった愛犬PB。

PBが亡くなり、台所仕事をしながらも涙が止まらない母に対して、今は自分がいなければと思う。他の場面からも、樹木は優しく素直な男の子なのが伝わってきた。

 

樹木が生まれ、睡眠も満足にとれなくなってしまったとき、

「一緒にいたい気持ちと、遠くへ行ってしまいたい気持ちが、波のようにぶつかり合う。でも、ものごとの行く末がいつも見えていたら、息子にも愛犬にも会えなかったとも思う。」との未土里の思いは、昔自分にも心当たりがあり心に残った。

 

タイトルと同じ最終章の「去年の今日」では、亡くなったPBの視点で語られている。

「こちらの世界は、そちらの世界で考えられているような、天国や地獄というような二項対立的で単純な構造にはなっていない。

なにもかもが、あの日で終わってしまったわけではない。

こっちの世界はそっちで考えられているよりずっと自由だし、怖いところでもないし、ただそちらの言葉では、上手く言い表せないような場所や状態。」

という、肉体を持たないPBが今いる場所は、何だかとても自然で、素直に信じられる気がした。

保護犬についても色々考えさせられる物語でもあり、「動物は死ぬ前、飼い主に感謝の気持ちを伝えようとすることがある。」という言葉も心に残った。

著者の長島有里枝さんは、写真家。

最近偶然、著者の書評を目にした。それは、『暗闇の美術』という美術書の書評で、理解可能で安全無害なものが好まれる現代だけれど、「暗い芸術に私はむしろ安堵やカタルシスを覚え、不思議と心穏やかになれる。」と書かれていて、その言葉にも共感した。

 

『いのちのパレード』(恩田陸・著)

15篇からなるミステリー短編集。

どれも目の前にリアルに情景が浮かぶような話ばかりだった。特に印象深かった作品を挙げると…

「観光旅行」

指や手の形をした巨岩があちこちから生えている奇妙な村に、妻と観光旅行にやってきた男性の話。

最後のページ、最後の一文にゾッとし、さすが上手い著者だなぁ~と感心した。

この情景描写、海外の写真で見たことあるぞ~と思ったら、ベトナム・ダナンの観光地、「神の手」と呼ばれるゴールデンブリッジだった。

ブロ友さんのベトナム旅行の写真でも見たような…

(画像は、旅行サイトから拝借。)

『かたつむり注意報』

ある作家の伝記を書くため、男性が訪れた異国の地。

ホテルのレストランにいると、「かたつむり注意報」が出たと伝えられる。

巨大なカタツムリが出現するときは、かたつむり注意報が出る。注意報が出たら、建物から一歩も外を出てはいけない。

巨大なカタツムリが街中を歩くその大きな影や、カタツムリが通った後、虹色に輝くという美しいその道筋を、空想しながら読んでみた。その場面、映像的にも観てみたい。

『橋』

東西に分断された日本が舞台。

そこの国境にかかる橋での監視を請け負う、ごく普通の人達。ここで交わされる会話も至って日常的なのんびりしたものだ。ある日、一瞬緊張が走って…

以前も読んだことがあるような気がしたけど、似た小説か映像での同じような場面だったのかな。日本が東西に分断されたらと、怖い想像をしてしまった。

『蛇と虹』

互いを「ねえさん」「いもうと」と呼び合う、二人の会話が交互に繰り返される。

美しい情景を感じる一方、始終不穏な空気も纏っている。夢のような、残酷な会話でもある。こういうことだったのか!とのラスト。この作品も上手いな~。恐れ入りました。

『いのちのパレード』

この世に暮らすありとあらゆる動物たちの壮大な行進。その眺め。

それらの描写が何とも素晴らしかった。

音は振動だということを思い知らされるような吠え方をするのは恐竜。その後は人間達が続く。みなどこへ行くのか、それは誰も分からない。

「ここですべきことはもう終わった。こらからが真の孤独。」

まるで地球の歴史を感じさせられるような話。

夜想曲

大きな古めかしい屋敷の一室が舞台。

「最近じゃ、本のある屋敷自体珍しい。」「皆、小さな箱状のものを見つめている。」

「それじゃあ、私たちの声なんて聞こえやしない。」

でもここは、蔵書がたくさんある完璧な部屋だ。

この声の持ち主は、インスピレーション・ギフト・アイデア、または啓示・霊感・天啓のような、声だけの3人の存在たち。

人間に芸術表現のきっかけを与えてきた存在。

「最初に声をかければ、あとは自分の中の声を見つけて、どんどん一人でやっていける者たちばかりだった。」と3人は回想する。

この屋敷で、久しぶりに自分たちの声を聴くものを見つけた。

それは、亡くなったご主人を慕う書生ロボットの青年。

この話は、AIなど科学の発達し過ぎが改めて恐ろしく感じた。(;’∀’)

以上、タモリ世にも奇妙な物語のような、摩訶不思議な世界に入り込んだようなお話ばかりだった。

 

『可哀そうな蠅』(武田綾乃・著)

表題の「可哀そうな蠅」ほか、「まりこさん」「重ね着」「呪縛」の4篇からなる短編集。

美しい装丁に惹かれたのだけど、嫌な気分が残るイヤミス的作品が多かった。

でも読み出せば、どれも話の中に引き込まれた。

唯一「重ね着」だけが、穏やかな気持ちで読めて一番心に残った。

「重ね着」は、姉妹で京都・伏見稲荷大社へ行ったときの、二人の会話が中心の物語。

東京に住み京都に帰省した妹から突然、伏見稲荷に登ろうと誘われる主人公の姉。

京都に住んでいると、観光地での混雑はずっと避けるようにしていたから、伏見稲荷は身近であって身近でないと感じる主人公。地元だとやはりそうだろうな。

重ね着が嫌いな姉に比べて、妹は服をたくさん組み合わせられる冬の方が好き。

伏見稲荷を歩きながら、互いの将来について口論になっていくけれど、次第に悩んでいる妹の胸の内も分かって来て、最後は爽やかな幕引きだった。

 

表題の「可哀そうな蠅」は、SNSが盛んな今どきの物語。

ある投稿をきっかけに、女子大生である主人公が、粘着的に絡んでくる正体不明のアカウントにつきまとわれる話。

ネット炎上に群がる人達を「蠅」に例えているのが分かった。

ネット上で一気に話題になる、「バスる」という言葉の語源についても説明されていて、Buzzというのは英語の擬声語で、ブンブンと虫が飛び回るときの羽音や、人の話し声を意味しているのだそう。

 

バズるといえば、私も先週末ブログのアクセス数がバズった日があって…

先週金曜夜、その日の夜寝る前にアクセス数を見たら600近くに増えていて、ギョッとしたのだった。

普段はこのように、アクセス数ほぼ50前後なのだけど^^;

その日夜にテレビ地上波で、映画『すずめの戸締り』を放映していて、自分の注目記事を確認したら、以前書いたこの映画についてのが1位と2位に上がっていて、テレビ放映時間から急激にアクセスがUPしていた模様。翌日も300回数を超えていて。

以前も100を超えていたことがあったけど、そのときはアクセス先を確認したら、『法華経・誰でもブッダになれる』での著者・植木雅俊さんが私の記事をツイートしてくれていたからだった。

それがきっかけで、私もツイッター(現X)に入ってはみたものの、一度も呟かず、今はログインも出来なくなり放ったらかし状態。(ブログ記事を数回連動してはみたけれど…)

私のブログへのアクセスは半数以上がGoogleからで、きっとテレビで『すずめの戸締り』を見ていて、「要石」「後ろ戸」について気になり検索した人が多かったからだと思う。ちょっとびっくりしたので、「バズる」関連で書いてみました。(^^ゞ

tsuruhime-beat.hatenablog.com

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(下の記事での教えていただいたとは、kagenogoriさんからでした。)

簡単にまとめるつもりが、またもや長文になってしまいました。m(__)m

先週行った「浜離宮」での菜の花と、日曜、近所での桜です🌸