つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

映画に出て来た「後ろ戸」について、色々教えていただきました。

今月初めにUPした映画『すずめの戸締り』感想記事にて、作品に出て来た「後ろ戸」について気になったことを書いたら、ブログ仲間のkagenogoriさんから「後ろ戸」ほかについて、興味深い話を伺うことができました。

tsuruhime-beat.hatenablog.com

それに繋がる話の展開で、ほかにも興味深い話を色々聞かせていただき、備忘録のために、また私だけでなくこのような話に興味を持たれる、もっとたくさんの方の目に触れた方がいいのではと思い、該当部分を抜粋しそのやり取りをコピペしました。

 

この映画での「後ろ戸」とは、日本各地で起こる地震を、「後ろ戸」というドアを閉めることで防ぐという、登場人物の青年・草太は、それを閉じる旅をしています。

映画館入場時にもらった「新海誠本」で、

災害装置としての「後ろ戸」は、そもそも古典芸能における概念であり、神や精霊に繋がる扉のことである。日本古来の芸術表現は「後ろ戸の神」から授かる超常的な力が源泉と考えられていたそうだ。

との記述部分にとても興味を惹かれたとブログに書いた私に対して、以下、kagenogoriさんから頂いたコメントです。

(Kagenogoriさんは、新海誠、過去の作品である『君の名は』『天気の子』は、娘さんに勧められてBlu-rayを以前買われたそうです。)

なるほど、、、「後戸」ですか、、
新海監督で感心する(決して上から目線では無いのですが.笑)のは、歴史の古層を紐解くような民俗学文化人類学の知見をさりげなく、そして分かりやすく映画に盛り込んでくることです。『君の名は』なんてモロそうだったし。
「後戸」というのはお寺の本堂などの仏堂の背後に隠された空間につけられた扉で、民俗学などで俎上に上る場合は、その隠された空間そのものを指します。
なぜそのような空間があるのかというと、そういった「閉じられた空間」の内部は「あの世・常世」とつながる通路があり、そこから人知を越えたとてつもないエネルギー、もしくはとてつもないパワーを秘めた神霊そのものが、その空間に籠もる、と考えられていたからです。
つまりヒョウタンなどもその内部に「そのような力」を秘めており、また竹の節と節の間の空間にはかぐや姫のような「あっちの世界」からの存在が生まれ出たりするわけです(*^_^*)
能楽世阿弥が『風姿花伝』のなかで猿楽(能楽)の神として「後戸の神」に言及しているのも、「あの世」との邂逅を重要なテーマにしている能を演ずるにあたって、そのパワーを必要としたからなんですね。
そのようなモノを閉じ込めている扉が開けっ放しというのは確かにマズイ状態だと思います(笑)
それが地震を引き起こしているというのは、新海監督の優れた感性と想像力の賜物だとは思うのですが、、、

でも後戸に限らず、そのような「閉じ師」的な仕事をしている人は本当にいそうな感じもしますね(笑)

 

また、kagenogoriさんの音楽ブログには、毎回お住まいの地域での美しい山並みの写真もUPされているのですが、曲の感想とともに、こちらの記事に以下のコメントをしたところ、またしても貴重な話を伺うことができました。

kagenogori.hatenablog.com

「山と言えば、今日の新聞で、宗教民俗学者である宮家準さんの『山・川・海・雨の循環と山の神』というコラムが興味深かったのですが。

修験道の重要なテーマは、山に入って儀礼の形で擬死再生を体験して生まれ変わった気持ちで山を下りること。それで得られた超人的な力で人の苦しみを見抜き祈祷を行う。
人間は本来、仏性を持っているけど、世俗に曇らされているので、山で自然に触れることでこれを取り払い、清らかにする修業をしているのだ。

とありましたが、今回の記事を拝見しても、kagenogoriさんも日々自然の中での過酷な仕事の中で、似たような境地になられるのではと感じました。」

との、私からのコメントに対して、

kagenogoriさん

修験道の重要なテーマが、山に入って「擬死再生」を体験して超人的な力を得た「新たな自分」に生まれ変わる、、、まさにそうですね(^^)

つるひめさんのところで「後戸」についてコメントさせていただいた所、、、

「閉じられた空間」は「あの世・常世」と通じており、そこから超常的なエネルギーやパワーが流れ込み、またアッチの世界の存在が生まれ出たりする、と申し上げましたね(*^^*)

その「閉じられた空間」にはヒョウタンや「竹の節と節の間」以外にも、色んな生き物の「卵」、「蛹」、「繭」、さらには「子宮」などもあると考えられてました。

それらはいずれも「アッチの世界」からエネルギーやパワーを得た「新たな生命」が生まれ出る「閉じられた空間」です。

とくに「蛹」「繭」は一度死んだように動かなくなった幼虫が、そこに「籠もる」中でまさに一度生命としての形態を失い、その後新たな姿・新たな生命力を獲得した存在として「再生」するという、、、

「死と再生」を体現するものと考えられました。

そして山も、「山に籠もる」という言葉があるように、一種の「繭」のようなものと考えられていたのです。

山(とくに奥山)は「あの世・常世」と通じる空間でした。

山伏は奥山と厳しい環境で修業することにももちろん大きな意味がありましたが、何よりも「山に籠もる」という行為そのものが重要だったのだと思われます。

山伏のように山で厳しい修行をせずとも、一般人でも擬死再生儀礼は可能です。

各地にある「胎内巡り」がそうですし、また立山の「布橋灌頂」や沖縄久高島の「イザイホー」、金沢の「七つ橋渡り」などの儀礼も「擬死再生儀礼」です。

あとの挙げた3つはいずれも壮年の女性が白装束を召して参加する、という共通点もあります。

「白装束」は「死に装束」で、つまり「一度死んでまた蘇える」意味があります。花嫁衣裳の白無垢も同じ意味ですね(*^^*)

話しがまたまた長くなりました(笑)

たしかにおっしゃる通り、山に毎日いると、すくなくとも変に溜め込んだりすることが無いですね(*^_^*)

家の中にいる方がよっぽど修行(笑)のような気がします(^▽^)

とこのように、かぐや姫が誕生した竹や、ひょうたんなどに秘められている力の話も面白かったですが、またもや興味深い話を伺えました。

「山」とは一種の「繭」のようなものであり…というのや、映画『すずめの戸締まり』でも、ドアの向こう側に「常世」の世界が表現されていましたが、「奥山」も「あの世・常世」に通じる空間だというのも興味深いです。

日本古来から伝わる、神羅万象に神が宿るという「八百万の神」は、無宗教の私でも信じているので、特に標高の高い山並みなどは、遠くから眺めただけでも、神々しく畏敬の念を感じていました。

「籠る」というほど長時間滞在しなくても、確かに山など自然の中に行くと、心身共に生まれ変わったようでリフレッシュできるのも、小さな擬死再生ができたからなのかも知れませんね。

「胎内巡り」というと、長野県・善光寺で、「胎内巡り」という地下通路の暗闇の中を進む経験をしたのを真っ先に思い出しました。

Kagenogoriさんが書かれた、立山、久高島、金沢などの「擬死再生儀礼」が出来る場所もそれぞれとても気になりました。

Kagenogoriさんがお住いの、金沢「七つ橋渡り」とは、七つの橋を渡ることによって擬死再生の経験が出来るってことなんでしょうね。

金沢へ旅行に行けたら、その七つの橋も渡ってみたいです。

 

古代史や民俗学にお詳しいkagenogoriさんは、音楽ブログの他にこちらのブログも運営されています。こちらの更新はたまにのようですが。

kagenogori.hatenablog.jp

それから、こちらの書籍も出版されています。

影の王: 縄文文明に遡る白山信仰と古代豪族秦氏・道氏の謎 | 泉 雄彦 |本 | 通販 | Amazon

(すみません、私はまだ読んでいませんが^^;)

 

kagenogoriさん、私にとっては、学校の勉強より面白いと思われる話をありがとうございました。また機会がありましたら、色々教えて下さい。m(__)m

 

後ろ戸ではありませんが、障子戸の写真ならありました。('◇')ゞ

* * *

映画といえば、ドキュメンタリー作品のジョン・レノン 音楽で世界を変えた男の真実』を先日観に行ってきました。

感想はまた後日書くかも知れませんが、今回はちゃんとビートルズの音楽が色々流れ、美術学校時代の友人たちが話すジョンのエピソードが特に興味深かったでした。

 

来年1月には、ビートルズ日本公演時のドキュメンタリー映画『ミスター・ムーンライト』が公開されますね。伝説の来日公演の、知られざる裏側を描く作品だとか。

mr-moonlight.jp