つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

ドキュメンタリー映画『ミスタームーンライト』

ドキュメンタリー映画『ミスタームーンライト』~1966 ザ・ビートルズ武道館公演 みんなで見た夢~

1966年6月30日から7月2日まで、日本武道館で全5回公演が行われたビートルズの来日公演。その開催までの道のり、ビートルズが日本の音楽界に与えた影響などを、さまざまな証言から検証していくドキュメンタリー。

既にご覧になった皆さんがブログに書かれていたように、このドキュメンタリー作品、とても面白かった。

以前見聞きして知っていたこと+α程度の内容では?と思っていた私。面白かったと聞くとより期待が高まってしまい、そうでもない場合も多いのだけど、この作品は時間を経つのも忘れるくらい見入ってしまった。

(まだ公開されたばかりなので、印象に残った部分少しだけ列挙します。)

 

冒頭、ビートルズの元秘書だったフリーダ・ケリーのインタビューとともに、リバプール・キャバーンクラブで演奏するビートルズの映像が…。それだけでも久しぶりに大画面で演奏するビートルズを観て、胸にこみ上げてくるものがあった。

フリーダは少女時代、このキャバーンクラブに、ビートルズを観るため足蹴く通っていた当時の想い出を同じ場所で語っていた。

愛しのフリーダ』は大好きな映画なので、ビートルズ全員から家族のように愛されていたフリーダの、その愛らしく優し気な面影は、現在もそのままだったのが嬉しかった。

(エンディングで流れた曲「I Will」では感涙だったのも思い出します。)

当時ビートルズファンクラブには、日本からのファンレターも毎日何束も届いていたので、ビートルズも日本での公演をとても待ち望んでいたというフリーダの回想や、続いて登場したジョンの妹が、日本は素晴らしい国だったとジョンが語っていたとの話も嬉しく感じた。

 

一番興味深かったのは、作家・高橋克彦が学生時代、ビートルズに会いたい一心で、イギリスに渡り、ファンクラブを訪ねたら、なんとビートルズの演奏を見に行けただけでなく、そのステージにまで上げてもらえた夢のような話。

カメラを忘れたため写真を撮れず、帰国後誰からも信じてもらえなかったそうだけど、その時の興奮が自分にも伝わってくるようだった。

 

この作品で、中心的に色々熱く語っていた高嶋弘之高嶋ちさ子の父)のエピソードも、とても面白かった。

ビートルズを日本で一番愛していたのは私ですよ。」との言葉にも納得。

レコード会社でビートルズの担当者だった高嶋氏が、ビートルズを日本でヒットさせるため、いかに売り込むか苦心した話などもとても興味深かった。

そのための数々の仕掛け話の中で、松本隆は大学生の時、電話リクエストのサクラとしてバイトした経験があるとか。

その高嶋氏の話でちょっと意外に思ったのは、日本人として初めてビートルズを取材した星加ルミ子(ミュージックライフ元編集長)が、ビートルズの曲を初めて高嶋氏から聴かされたとき、日本では売れないと感じたと話していたことだ。初めて曲を聞いたときからビビビッと来たのかと思っていた。

 

来日公演での葉書が当選しても、宛先不明で何百枚か戻ってきてしまい、それをまた売りさばいたとのエピソードは、へぇ、それはもったいなかったなと感じた。その当選葉書を当時どれほどの人が欲しかったことか。

私も1980年、幻の公演となったウイングス武道館公演では、チケットをゲットしたにも関わらず中止になり行けなかったので。ビートルズファンになったときは既に解散していたので、この時は、初めてポールを拝めるとワクワクしていたのに。

 

浦沢直樹が、当時テレビで放映された来日特別番組を、父親に観たいとせがんでチャンネルを一瞬だけ変えてもらった話をしていたけど、私も子供の頃、その番組を夜家族全員で観ていたのは記憶している。その頃はまだビートルズのビの字もよく知らない頃だったけど、きっと日本中それだけ大騒ぎだったのだろうな。

その番組で冒頭、羽田から夜の首都高をパトカー先導で移動していた映像で流れた曲「ミスター・ムーンライト」は、作品でも流して欲しかった。ビートルズ演奏曲は、最初と途中の2回くらいしか流れなかったと思うので。

 

ファンだったのでビートルズが乗る便に乗務させてもらったという、日本航空のCAだったコンドル聡子さんご本人も登場し、JALの法被にまつわる話や機内でのエピソードを聞けたのも面白かった。

デビュー曲からしビートルズテイスト満載だったチューリップの財津和夫や、当時はまだ生まれていなかった、奥田民生峯田和伸などが語る、ビートルズへの熱い思いも良かったな。昨年一緒に記念撮影してもらった、ビートルズ研究家の藤本国彦も登場していた。

伝説のビートルズ日本公演はどのようにして実現できたのか、裏方の苦労などその経緯が詳しくわかったし、著名人や一般人のファンがそれぞれの思いを、とても嬉しそうに語る場面はどれも共感でき、それを聞いているこちらもつい笑顔になってしまう、あっという間の102分間だった。

 

先日の日曜日、ビートルズ仲間の還暦祝いセッションイベントがあり、バンドで出演させてもらったのだけれど、その方がお礼の挨拶で、「ビートルズがいなかったら、その素晴らしい音楽にも、今日ここに集まった仲間たちとも出会うことは無かったので、ビートルズはそれだけ凄い存在で感謝している。」というようなことを話していたけれど、それは私も日々感じて来たことだ。

ビートルズがいなかったら、ドラムやバンドをやることも、たくさんの音楽仲間と出会うことも無かったと思う。

以前もブログに書いたと思うけど、「プリーズ・プリーズ・ミー」をどうしてもドラムで叩いてみたくてドラムを始めたので。

 

昭和の映像も懐かしかった作品でした。機会がありましたら是非♪

mr-moonlight.jp