映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』
レイチェル・ジョイスの小説「ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅」を原作に描くヒューマンドラマ。
定年退職し、妻のモーリーン(ペネロープ・ウィルトン)と暮らすハロルド・フライ(ジム・ブロードベント)のもとへ、ホスピスに入院中のかつての同僚クイーニーから手紙が届く。
余命わずかの彼女に返事を出そうと家を出たハロルドは、途中で気が変わり、手紙を直接届けることを思いつく。彼はある思いを伝えるため、イギリスの北端まで800キロの道のりを歩き始める。
(「シネマトゥデイ」から抜粋)
期待通り、とてもいい映画だった。ロードムービーでもあるので、美しいイギリスの風景も十分に堪能できて。
「私が歩く限りは生き続けていてくれ」と、元同僚クイーニーへの伝言を病院に頼み、ハロルドフライがほぼ手ぶらで歩いた800キロは、イギリスを縦断するこのコース。
夜は焚き木をしながら野宿したり、足の豆が潰れ、歩けなくなったりの過酷な道中、親切にしてくれる人達とのふれあい場面も心に沁みた。
その関わった人たちも、皆様々な事情を抱えていたり。
ハロルド自身、歩き続けることによって、息子に対する後悔の念が溢れて来たり、その辺の事情も観ていて徐々に分かってきた。妻への思いも。
その妻がハロルドを心配する気持ちや、ホスピスに入院している、同僚クイーニーの人柄も伝わって来て、後半は先に観られた、temahimeさんも言われていたように、涙がとめどなく溢れ、アイメイクも全て流れたもよう。(一人で観に行って良かった^^;)
話の終盤、病院の窓辺にハロルドが掛けたガラス玉が光り輝くシーンで、ハロルドが道中、関わった心優しい人達の頭上にも、その輝きが伝わっていく場面にもグッと来た。
それら心揺さぶられた場面は、主題歌を担当したサム・リーや、イラン・エシュケリの音楽効果ももちろんあって。ハロルドの旅を彩るような、美しく民俗音楽的なBGMがずっと心地良かった。
途中、ハロルドを応援する人たちが一時的に増え、その人々が夜テントに泊まったり、焚き木を囲み歌を歌ったりする情景(サム・リーが、実際にアカペラで歌っている)は、映画「ノマドランド」を思い出した。
「常識よりも、信じることが大切だ。」ということも、この物語のメッセージとして心に残った。
ハロルドを演じたジム・ブロードベントは、ジュディ・デンチと夫婦役を演じた『アイリス』ほか、『ムーラン・ルージュ』『ハリーポッターと謎のプリンス』での魔法薬学教授役、そしてこれまた懐かしい『ブリジット・ジョーンズの日記』などに出演していて、以前から度々目にしているお馴染みの俳優さん。高齢になっても元気に活躍されていて良かった。
おすすめの感動作でした。
サム・リーによる、劇中歌「スウィート・ガール・マックリー」。
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この映画を見る前、その日の午前中に観賞してきたのは、現在、上野「東京都美術館」で開催中のこちらの美術展。
『デ・キリコ展』
コロナ禍以降、美術館はしばらく予約制になってしまったのもあり、ずっと足が遠のいていたけれど、これは絶対行きたいと楽しみにしていた。
イタリア人の両親のもとギリシャで生まれたジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)。ニーチェの哲学やベックリンの作品などから影響を受けた。
1910年頃から、簡潔明瞭な絵を描きながらも、歪んだ遠近法、脈略の無いモチーフの配置、幻想的な雰囲気によって、日常の奥に潜む非日常を表した絵画を描き始める。
後に「形而上絵画」と名付けた1910年代の作品は、サルバドール・ダリやルネ・マグリットといった、シュルレアリスムの画家をはじめ、数多くの芸術家たちに影響を与えた。
本展は、デキリコ70年にわたる画業を「イタリア広場」「形而上的室内」「マヌカン」などのテーマに分け、初期から晩年までの絵画を余すところなく紹介。
(パンフレットから抜粋)
同じく不可思議で面白い作品が多い、ダリやマグリットの美術展も、過去に観に行ったことがあるけれど、こういう作品は心惹かれる。
「形而上学」とは、「存在そのものや宇宙の根本原理を探求する哲学の一分野であり、物理的な現象を超えた領域を考察する。」学問だそう。
「形而上学」って言葉は、私も数年前に知り合った、プラトン哲学が好きな友人の話から度々耳にしてきたけれど、
デ・キリコの代名詞ともいわれている「形而上絵画」の場合は、哲学的な意味ではなく、「現実の奥にある非現実」あるいは、「現実の奥に何かがあると察知する感覚」として、命名したものだそう。
この時代の「形而上絵画」は世界中に散らばっていて、今回は、それらをまとめてみられる貴重な機会とのことだ。
会場入り口入って直ぐに、大きく掲げてあったデ・キリコのこの言葉もインパクトがあった。
「(特に必要なのは、世界の全てを謎と見なす高い感受性である。)世界に住むとは、奇妙なもので溢れた巨大な美術館にいるようなことだ。」
自画像はじめ、一般的な絵も色々あったけれど、夢のようなありえない世界の絵が多く、面白かった。
デ・キリコにとって、ギリシャの空は、手に届きそうなくらい近いと感じるのそうだ。
それは、人と「ギリシャ神話」がとても親しい間柄だから、という言葉も心に残った。
「マヌカン(マネキン)」をテーマにしたもの、兜をかぶった戦士を題材にした作品も多かったけれど、顔のパーツが無い兜やマネキンからは、確かに心の空洞のような空虚感や不穏な空気が伝わって来た。
デ・キリコの作品には、無関係なものを並べることで調和を乱し、見る人に戸惑いや違和感を与えるものが多いのだそう。
絵画ほか、彫刻や舞台美術も展示されていて、舞台衣装などのデザインも興味深かった。
出口付近には、撮影OKのフォトスポットもあった。
(上は「バラ色の塔のあるイタリア広場」下は「オデッセウスの帰還」)
グッズ売り場では、ポストカードとクリアファイルを購入。
特に引き付けられた絵、「燃え尽きた太陽のある形而上的室内」。
太陽と月が、燃え尽きた太陽・月と、電気コードのようなもので繋がっている。コードがついていると、人工的に作った太陽と月にも見えた。
不思議満載で、非日常感をたっぷり楽しめました。
ところで、「イタリア広場」のような暗く不穏な色合いの空が、デ・キリコの作品に度々登場していたけれど、かなり前に見た忘れられない夢が、全く同じ色の背景だった。
詳細は忘れてしまったけれど、自分がかなり高い建物の屋上にいて、上空や周囲は空というより宇宙空間のようで、不思議な場所にいる夢だった。
私よりずっと不思議な夢をよく見られている、ブロ友の明月さんから以前、夢解析のアプリを教えて頂き、面白かったので、最後に紹介させてもらいます。↓
https://apps.apple.com/jp/app/dreamkit-%E5%A4%A2%E6%97%A5%E8%A8%98/id1572753006
見た夢の内容を入力すると、ユングとフロイト、二つの解釈結果が即座に出て、どちらか一方は当たっているように感じます。
明月さんのブログは、ご自身で描かれた素敵な絵「iPadでお絵描き」や「夢日記」などのテーマに分かれていて、色々興味深いです。
先月末、他にも感動した映画を観て来たのだけど、先週末ちょっと嬉しいことがあったので、次回はその記事を先に書く予定です♪
【おまけ】
日曜の七夕の夜、近所の散歩道では、七夕にちなんだイベントをやっていて、賑やかでした。