つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

『イライラ文学館』(頭木弘樹・編集)

~不安で怒りが爆発しそうなときのための9つの物語~

「最近イライラしませんか?そんな時こそ、イライラした物語を!」

「イライラに共感することで、イライラを相殺してもらいたい。」

本書は文学紹介者である、頭木弘樹氏編集の、小説からエッセイ、漫画まで、古今東西の「イライラ文学」を集めたアンソロジー

 

ここに出てきた「イライラ文学」を読んだことによって、自分が時に感じるイライラが相殺されたのかどうかは分からない。

でも、作品内の登場人物たちが抱えているイライラに比べると、自分が感じるイライラなど大したことないと思えて来たりした。

頭木氏は、大学生時代から13年間、潰瘍性大腸炎を患っていたそうだ。(先週、頭木さんの著作『口の立つやつが勝つってことでいいのか』の感想を書かれていた、マー君のママさんも書かれていたけれど。)

その実体験をもとに、心が暴走する前には、実はからだが悲鳴を上げていることがわかったのだそう。

そんな「身体で読む文学」を集めたので、是非ご堪能下さいとのことです。

その古今東西の作品は以下の通り。

【目次】

「心臓に悪い」(筒井康隆

「剃刀」(志賀直哉

「ねむい」(アントン・チェーホフ

「ボーモンが初めてその痛みを経験した日」(ル・クレジオ

「病溽の幻想」(谷崎潤一郎

「掻痒記」(内田百閒)

「当面人間-しばらくの間人間です」(ソ・ユミ)

「わけもなく楽しくて⁈の巻」「ムシムシイライラの巻」(土田よしこ

(漫画「つる姫じゃ~っ!」より)

最後の漫画「つる姫じゃ~!」以外は、読んだことない短編ばかり。

というか、つる姫の漫画も載っているとは全く知らずに読んだので、とてもびっくりした~!笑

と同時にとても懐かしく、引き寄せられた気分に…。

 

最初の「心臓に悪い」筒井康隆・著)は、正直読んでいくうち、主人公自身やその気持ちに対して、よりイライラが募ってしまった。

筒井康隆の小説は、昔「時をかける少女」や「家族八景」「七瀬ふたたび」他、SF作品など、若い頃色々読んで面白かったけれど。

 

「剃刀」志賀直哉・著)は、剃刀を使うことにかけては名人である、床屋の跡継ぎとなった芳三郎が主人公の恐ろしい話。

芳三郎は、風邪の熱で体調不良の中、客の若者の髭を剃ることに。

手元が狂い、その客の喉にちょっとした傷をつけてしまったことから、わけの分からない衝動に駆られ、その客の喉に剃刀を突き刺してしまう。

その場面含め、ラストに行きつくまでの心理描写にもドキドキした。

いくら心は無理をしようとしても、身体の不調は心に影響してくるということが見事に描かれているという、頭木氏の説明。

この作品について、志賀直哉自身の「創作余談」が後書き解説に載っていた。

「この小説を書いている時、ちょうど夜中の12時過ぎに、主人公が若者の咽を切る前まで書いて寝て、翌朝から続きを書き上げたが、その晩、私が書きつつあったときか寝てからか分からないが、垣一重隣りの人が、西洋剃刀で咽を切って自殺していた。妙な偶然があるものだと思った。」との話には、さらにゾッとしてしまった。

 

このイライラ文学の中で、特に引き込まれ印象深かったのは、歯痛から始まり、地震の恐怖に怯える主人公の物語、「病溽の幻想」谷崎潤一郎・著)

激しい歯痛から、「痛みが極度に達すると、寧ろ音響に近くなるのだ。あたかも空中で音波の生ずるように歯茎の知覚神経が一種のバイブレーションを起こすのだ」と、その痛みの振動を「Qua-an!Qua-an!」や「Biri-biri-ri-ri 」という、振動音で表現しているのも面白い。その感覚、分かるような気がする。

その激しい痛みから、ずっと床に臥せていると、大地震の地響きが聞こえてくるなどの悪夢や幻想に、始終苦しめられている。

谷崎潤一郎自身、地震恐怖症だったのがこの短編から分かり、明治に起きた大地震などの描写も興味深かった。

谷崎潤一郎は、8歳のときに、明治東京地震で被災しているのだそうだ。

この作品が書かれた7年後に関東大震災が起こり、そのとき、谷崎潤一郎が泊まっていた「箱根ホテル」は崩壊したけれど、運よく外にいたので難を逃れ、それがきっかけで関西に移住し、作風が大きく変わったとのこと。

なので、ちょっと予言めいた作品だと思った。

その時の地震の描写、都内の情景や被害状況も記されていた。

「人間の生命が、何時威嚇されるかも知れないことをつくづく肝に銘じた。」のだそうで、その時から自分は臆病な人間になったとのこと。

この短編に登場する、安政地震を経験した老婆の話では、安政地震では深川の辺りが一番被害が酷かったとか。

下町の被害が激甚だったのは、地盤の脆さゆえのみならず、震源が当時の下町に近かったせいもあり、その震源が、亀戸駅付近という記述にもびっくりだった。

私もそうだけど、日本人は昔から大地震に怯えて来たのがこの短編からも分かった。ちょっと目まいがしても、地震かな⁈とビクッとするので。

主人公もその恐怖心から、歯痛からの耳鳴りと、地震の地鳴りを勘違いしたり。

 

その前の作品、「ボーモンが初めてその痛みを経験した日」(ル・クレジオ/著)も、主人公の激しい歯痛により、読者も一緒に、主人公の奇想天外な世界に連れて行かれるような話だった。

 

「掻痒記」(内田百閒・著)は、著者自身の頭に出来た湿疹により、猛烈な痒さに苛まれる話。痛さもだけど、痒みもかなり辛い。

かきむしる描写がリアル過ぎて、床柱の角に頭をぶつけたとか、自分自身を傷つけ、かえって痛くなったのではと心配になった。

これは、内田百閒が大学を出て、職が無かったころの話だそう。

夏目漱石に師事していて、その当時の描写も興味深かった。

「老松町の通りから椿山荘の前を通り…」など、早稲田南町の「漱石山房」へ向かう道順などが書かれていたり。湿疹が治り、坊主にして、その坊主頭を見た漱石の反応なども書いてあった。

 

最後に登場した昔のギャグ漫画、『つる姫じゃ~っ!』土田よしこ・作)は、このような漫画。

漫画家・土田よしこは、手塚治虫のアシスタントを経て漫画家になったそう。頭木氏も土田よしこのギャグ漫画大ファンだったそうで、それも嬉しかった。

当時私も土田よしこさんのギャグ漫画が大好きで、学生時代から「ツルヒメ」と呼ばれていた。それが省略され、以来当時の友人たちからは今でもずっと「ヒメ」と呼ばれている。

バンド関係やこのブログなど、そのままのニックネームを使ってしまい、後悔はしたものの、最近バンド仲間からも「ヒメ」「ヒメさん」と、省略して呼ばれることも多くなり、こちらの方が慣れ親しんだあだ名なので嬉しい。(^▽^;)

と、話が逸れてしまったけれど、その土田よしこさんは、昨年9月に逝去されてしまい残念だ。

 

頭木氏は難病になる前は、心(脳)が身体を操っていたのだと思っていたけど、逆に身体が心を操っていることもあるのを感じたそう。

健康な時は連携が取れているので、身体を一つのものと感じているけど、身体というの実ははかなりばらばらで、部位ごとの要求を持っているのを感じたとのこと。

脳や心で考えるより先に、体の方が早く動くというのは、他の何かでも読んだことがあるので、その言葉にも納得。

脳より、身体の感覚の方が大事なんでしょうね。

五感で感じるというような。

「熱とか痛みとか、あるいは疲労とか眠気とかは、愛や煩悩や憎しみや死と同じほどに強烈な、同じほどに絶望的な受難なのである。」(ル・クレジオ

この言葉は、どの主人公にも共通しているように感じた。

頭木弘樹さん著作の『口の立つやつが勝つってことでいいのか』は、私も図書館にリクエスト中で、間もなく順番が回って来る予定です。

イライラした時には、好きな音楽を聴いたり、美しい自然を眺めたり、美味しいものをゆっくり食べたりして、イライラを解消できるといいですよね♪

タチアオイ