つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

『嫌な気持ちになったらどうする?(ネガティブとの向き合い方)』(中村英代・著)

嫌な気持ちに度々囚われてしうまうことは、私ももちろんのこと誰にでもあります。

特に、対人関係からの嫌な気持ちに囚われている時間って、とても無駄に感じます。

本書は、そんな気持ちの揺れに振り回されるのではなく、その性質や特徴を知って、対処する方法が書かれています。

主に若い世代向けではありますが、大人向けでもあり、なるほどと思った事柄がたくさんありました。

覚えておきたいことを中心に、いつものように覚書をしておきます。

 

著者である中村英代さんは、大学で社会学を教えていて、研究テーマは「現代社会の生きづらさとそこからの解放」。育った家庭環境もあり、子どもの頃から生きづらさを感じてきたそう。

著者の目にキラキラうつる学生たちの多くも、実は生きづらさを抱えているとのこと。

自分たちの心に現れるネガティブの小人は、反省させることが好きなので、特に若者たちの間では、毎日一人反省会が行われている。

ここでの「~すべき」「~してはいけない」などの強迫観念は、私たちの生活をコントロールしているもの。

この強迫観念の小人の主要エネルギーは「不安」である。

 

中学時代からの摂食障害の経験から、長く「依存症コミュニティ」に関わっている著者。教師として色々な学生から話を聞きつつ、自分や周囲のネガティブをじっと観察して過ごしてきたそうだ。

これら全てに共通するキーワードは「意思の力」。

<あらゆる「依存症」について>

それは、本人の力では止められない。

それなのに周囲の人も、本人までも、「意思の力」で止められると思っている。

ネガティブな感情も同じで、「意思の力」では止められない。

ここで起きているのは全て、「思考の私」と「身体の私」の対立である。

「意思の力」とは、言い換えれば「我慢」のこと。

私たち現代人は、「意思の力」では変えられないものを、無理やり変えようと苦しみ、「意思の力」の信仰に満ちている。(「その力で望ましい状況を達成せよ。」というような。)

ただ、変えられると思い込んでいるもは、実際変えられなかったり、変えられないと思い込んでいるものは、実は変えられるものであったりする。

なので「変えられるこの」と「変えられないもの」の見極めが重要。

 

著者が長く関わってきた、依存症の回復コミュニティでは、先ず、自分の力ではその依存は止められないとの無力を認めること。

そこでは、「意思の力」を手放し、「語ること」が行われている。

安全な空間で、自分の感情を語ることには効果がある。

そこでのルールは「言いっぱなし、聞きっぱなし」。

同じ苦しみを経験した仲間に話し、否定せずに聞いてもらう。

過去に犯した罪、醜い気持ちを話しても、誰からも責められず否定もされない。

また、社会一般で良いとされることを語っても、誰からも褒められない。

この「評価と査定のない空間」では、自分を大きく見せる必要もないし、誰かの顔色を伺う必要もない。

なので、語りは次第に自由なもの、正直なものへと変化していき、人は楽になり、変わっていくことができる。

評価も査定もなく、ただただ自分の話をしたり、相手の話を聞く場所は、人が生きていくために必要とされている。

 

でも、正直な気持ちを話して、余計に傷ついてしまうという二次被害を受けないために、ナラティブ・セラピーという心理療法での、「問題の外在化」という技法をマスターすることがおすすめ。

「問題の外在化」とは

例えば、問題を「妖怪」と見なし、その「妖怪」に対抗していく方法。

ある人に「妖怪」がとりついていて、そのせいでその人は問題を起こしている、と考えてみること。

妖怪「ぐっち」にとり憑かれていると、愚痴が止まらず、自分へのダメだしが止まらないのは妖怪「ダメダメ人」とか。

他人でも自分でも、悪いのはとり憑かれている「妖怪」だと思うと、寛容になれる。

<ナラティブ・セラピーについて>

同じ現象をどう理解するか、どう反応するかは、その人がどのようなストーリーを生きているかで変わる。

ナラティブ・セラピーとは、苦しみをもたらすストーリーから、自分にとって生きやすいストーリーへと、ストーリーを書き換えること。

自分自身を縛る「でなければいけない」から、自分にとって生きやすい新しいストーリーへと書き換える。

私たちは日常的に、さまざまな架空のストーリー、いわば妄想を現実だと思い込み、必要のない苦しみを生きている。

そんな妄想を修正してくれるのは、新しい経験や他者の存在。

自分を苦しめるストーリーを自覚し、そこに揺さぶりをかけ、別のストーリーを立ち上げていく。

ただ、心が闇に覆われているときは、そこに無理に光を当てれば、闇は深まるばかり。

その点に注意しながら、「大変なことがあっても、なぜ私は○○ができているのだろうか?」という自分のポジティブな点に光を当てていくことが大切。

結果的に自分の中に立ち上がってきた、ポジティブな思いは、私たちの心を温め、本当の意味での光になる。

 

<人の気持ちは伝染する>

ネガティブな感情もポジティブな感情も伝染する。

特に家という空間は、ポジティブな感情もネガティブな感情も増幅する。

だから、家庭は最悪な空間にもなるし、安心で温かい空間にもなる、メンバーによって振れ幅が非常に大きい場所。

 

ネガティブに体ごと乗っ取られた場合は、それが過ぎ去るまでの間の被害をいかに最小にするか。自分を傷つけず、誰かを傷つけず、どう乗り切るかが課題。

魔の時間を耐え忍べば、ある瞬間を境に心は落ち着き、生還はやってくる。

 

著者の教え子たちも、そういった家庭での悩みも多いそうです。

それより小さい子ならなおさら、親に対抗するのは難しいでしょうから、是非こういった本を参考に、嫌な気分と距離を置くことが出来るようになればいいなと思います。

そして本書にもあるように、大変な中でも出来ている、自分のポジティブな点に目を向けていくことが大切なのだと感じました。

 

「私たちは日常的に架空のストーリー(妄想)を現実だと思い込み、必要のない苦しみを生きている」という点にも、とても共感しました。

自分のその時の気分によっても、相手に対しての印象は違ってくるし、同じ現象でも、人がそのとき受けた印象と、自分が受けた印象が真逆で驚いたこともあるので。

 

依存症回復コミュニティで、評価や査定のない空間での、「言いっぱなし、聞きっぱなし。」という場も、もっと色々な所で気軽に行われたらいいのにと思いますが、専門家が居る場所でないと、やはり二次被害が怖いかも知れませんね。

以前観た映画でも、『ドント・ウォーリー』ほか、こういったミーティング場面が印象に残っています。

長い間のアルコール依存症や薬物中毒から脱却した、エリック・クラプトンが設立した、そういった患者さんのための治癒施設「クロスロード・センター」でも、このような回復ミーティングが行われているのでしょうね。

 

また、何を話すかは、誰(身内・友人・専門家など)が語っているかによって全然違うし、またその話の内容よりも、行動にその人の本心が出やすい、という点もなるほどと感じました。

自分に正直になるのは難しく、「嫌でも相手に合わせてしまったり、辛くても平気な顔をすることも、自分に対して不正直な行い。」ということにも同感でした。

心身の健康のためには、人の思惑は気にせず、自分に正直になるのが一番ですよね。

 

一般的に知られていることなどもありましたが、他にも、参考になることがたくさん書かれていました。

 

先日のライブ動画をもらったので、野外ライブの記念に、今日、前回記事の最後に2曲貼り付けてみました。お時間がありましたらm(__)m

tsuruhime-beat.hatenablog.com