つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

『本を守ろうとする猫の話』(夏川草介・著)

以前読んだ同じ夏川草介さん『始まりの木』では、よんばばさん、marcoさん、マー君のママさん、はなさん、temahimeさん、smokyさんなど、たくさんのブロ友さんが次々読んで感想をUPして下さってました。

その木の枝が伸びて繋がっていくように、またそのブロ友さんへと『始まりの木』の輪が広がっていったようで嬉しかったです。

感想を書いてこんなに反響があったのは初めてで、改めて作品の力を感じました。

そのmarcoさんの感想記事にて、猫好きでもあるよんばばさんとmarcoさんお二人が、次の夏川作品は、『本を守ろうとする猫の話』を読むというコメントを拝見したので、私も遅れ馳せながら、図書館で予約して読んでみました。

(よんばばさん、marcoさんの感想です。↓)

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garadanikki.hatenablog.com

さすが、ほぼ毎日ブログを更新されているお二人だけあって、アウトプットの早さにも驚きでした。

今月図書館が一週間休館で、貸出期間が延長されてのんびり読めたのもあり、私はお二人からかなり遅れての感想ですが。

【あらすじ】

主人公は、読書好きで引きこもりがちな高校生である夏木林太郎

小さな古書店「夏木書店」を営む祖父と二人暮らしだったけれど、その祖父が突然亡くなってしまう。

途方に暮れながら、叔母の家へ引っ越すため、本の整理をしていたら、店の奥で人間の言葉を話す不思議なトラネコと出会う。その猫は、本を守るため林太郎の力を借りたいという。本を助けるため、林太郎は猫と一緒に4つの迷宮の世界へと向かう。

というファンタジー作品。

こちらの作品も考えさせられ、ストーリー的にもとても面白い作品だった。

ファンタジーなので、迷宮の場面での想像力も広がってきて。特にクライマックスの場面では、その映像が次々に脳裏に浮かんでくるような面白い展開で、映画化を期待してしまう。

精神的にも弱かった林太郎の成長物語でもある。

林太郎を何かと気遣ってくれる、しっかり者のクラスメート・柚木沙夜や、夏木書店の常連客である、学校の先輩・秋葉良太との関係も良かった。

林太郎とトラネコが向かう、それぞれの迷宮場面は、星の王子さまでの、王子様が色々な星へ旅したときに出会った、星の住人たちの場面を思い出した。

作品の登場人物たちの言葉から、本に対する作者の愛情も、とてもよく伝わって来た。

それらの迷宮場面では、自分も読み方の警告を受け取った気分に…

迷宮でのある男は、読書は効率化こそ大事であり、「読書量を増やすためには、要約と速読が大事だ。」というのだけど、私も確かにそう考えているふしがあり、速読できたらどんなに便利だろうと昔から思っていた。

でも速読やあらすじだけでは、この前感想に書いた『その光』での、秋の匂いに関する箇所は気づかなかったと思うし、読むのが遅く、ぼーっと考えたりしながらのいつもの読み方が、やはり一番自分に合っているようだ。

林太郎の祖父の言葉である、「ときに一行一行を吟味し、何度も同じ文章を往復して読み返し、ゆっくり進めていく読書もある。」というように。

「どれだけ知識を詰め込んでも、自分の頭で考え、自分の足で歩かないと全ては空虚な借りもの。」だというのも最もだと思う。(自分が出来ているかどうかは、さておき^^;)

祖父が林太郎にいう、「本には力があり、時代を超えてきた古い書物には、それだけ大きな力がある。力のあるたくさんの物語を読めば、お前はたくさんの心強い友を得ることができる。」という言葉は、著者の体験を踏まえて実感してきたことなのだと、「後書き」からも伺われた。

著者も子供の時から学校嫌いで、本の世界に没頭してきたのだそう。主人公・林太郎も、ご自身がモデルなのだろうな。

医師である著者が勤める病院の同僚たちが、仕事の話だけでなく、人の優しさなど深い話の雑談が出来る環境であったからこそ、この本が誕生したのだということも分かり、多忙な職場だろうに、人間的にも素晴らしい医師たちなのだろうと感じた。

私は読書家といえるほど本を読んできたわけでもなし、この作品に登場する古典的名著も読んでない作品が多かった。

それでもせかせかした今の時代に比べ、昔の方が本を読みながら、自分の内面にも向き合う時間は多かった気がする。

忙しい今の時代は、SNSなどが発達してしまったこともあり、そちらに時間を取られ、そこから見える表面的な羨ましさなどが肥大化してしまい、心が疲弊したり孤独感が募り、事件が起きてしまったりもするのだと思う。

作者の後書きでも、現代は人の心がささくれ立っていると書かれていた。

よく言われてることだけど、自分の人生はこの一回限りでも、本を読んだり映画を観ることによって、自分とは違う様々な人生を知り、共感力も育まれるように思う。

 

「難しい本に出合ったらチャンスだ。難しいってことは、新しいことが書いてある証拠。」

「難しい本に挑戦することは、高い山に登るのと同じこと。でも登ってしまえば、人間の本性に触れる真実、時代を超える普遍性という絶景が見える。」

「これをきっかけに、難解と言われる名作を手にとっていただければ。」

これらの「後書き」は、よんばばさんも記事に引用されていたけれど、私もこの本を読んでから、登場した名著も読んでみたいと思いつつも、生きている時間は限られているし、せいぜい、自分好みの作品に後どれくらい出合えるのかな、というところ。

でもそういった求める気持ちがあれば、きっと本の方から、自分に合った望む作品が飛び込んできてくれるものだと思う。

 

この本に登場した名作は、特に外国文学が多かった。

私が林太郎と同じ年代の頃に感銘を受けた外国文学というと、難解かどうかは忘れたけれど、アンドレ・ジッド『狭き門』は、読んだ後いたく感動し、日記に感想を長々したためたので覚えている。

その後、もっと感動を!と思い、やはり有名なドストエフスキー罪と罰を読んだら、やたら暗くてつまらなかったのを覚えている。

でも、今『罪と罰』を読んだらまた別の見方が出来るだろうし、『狭き門』も、思春期の頃ほど感動しないような気もする。

どちらの作品も、この小説には登場していなかったけど、実は今、必要に迫られ、難解な本にも挑戦中なんです。

この本の「後書き」の最後に、プラトン著『クリトン』からの、ソクラテスの名言が引用されていたけれど、同じくプラトン『国家』(上下巻)をこの前購入し、今少しずつ読んでいる最中でして。

内容は、日本語を勉強している友人から教えてもらい、部分的には知っていましたが。

本のテーマは「正義」についてで、『国家』というタイトルで政治的な対話が書かれていても、それは精神的な対話であり、「魂」について語られているのだそうです。

自分の頭でどこまで理解できるか分からないけれど、読破したら、どんな景色が見えるのだろうと楽しみでもあります。