芥川賞を受賞されたデビュー作、『おらおらひとりでいぐも』以来6年ぶりとなる、著者2作目の最新刊。
『かっかどるどるどぅ』とは、ドイツ語で鶏の雄叫びの声だそうだ。
6話からなる連作短編集で、登場人物5人の身の上話が、それぞれ心の声で語られていく。
物語の要となるのは、古いアパートの一室を開放し、見ず知らずの人々に食事をふるまう、片倉吉野。
登場人物たちは、ひょんなことから吉野の家を知り、皆そこに引き寄せられ、温かい繋がりができ、生きる希望を見出していく…。
物理的にも精神的にも、ギリギリの所に追い込まれている登場人物ばかりで、真に迫るその心情がダイレクトに響いてきた。
一人一人の心の叫びは、今現在あらゆる理由で困窮に直面している人々の叫びでもあり、読んでいてこの作品を通し、こういった問題を投げかけ、著者の願いも込められているのが伝わってきた。
「今どき、お腹を空かした人間は思った以上にいっぱいいる」
「私の痛みは個人のことだけど、巡り巡って政治的なことだ」
「若い人の3人に1人は非正規。女だと4割が非正規。安心も安全もあったもんじゃない。なのに、それを見ないことにしていしまう。」
などなど。
自死を考えていた20代の保は、河川敷で「困ったらここに行け」と、見知らぬ人から紙切れを渡され、迷った末、吉野の家を訪ねる。
保は吉野が作ってくれた、大きく美味しいおにぎりを食べた後、「ノリコエテミナイカ」という自身の中から聞こえる声を聞く。奇妙に思ったけれど、それはきっと自分の内側から聞こえる、神様の声なんだろうと後に感じる。
それに関連して、吉野のこの台詞にもとても共感できた。
「一人の人間の心に、大勢の人の魂が沈殿しているのと違うかな。神様は、声なんだと思う。その人を生き生きと喜ばせる方向に導くものが神様。神様って内側から聞こえる声なんだよ。」
神様がいるのかどうかは分からないけど、「内なる自分の声=大いなる存在の声」だと、私も以前から何となくそう感じていたので。
「人の喜ぶ顔が好きなんだ。私も楽しいんだ。」「ここがそういう人のたまり場になればいい。」との一心で、質素でも温かい食事をふるまう吉野。
非正規雇用の職を転々とする、アラフォーの理恵も、吉野ほか母のような年代の3人の女性と出会い、談笑しながら一緒にご飯を食べ、自分が探している生き方は、ここにあるのかも知れないと気づく。
「私たちは常に人と比べた自分を思い知らされる。」
「比べることって必要でしょうか。」
との理恵の疑問からも、当たり前だから仕方ないと思ってやり過ごしてきたことなどについても、改めて考えさせられた。
吉野自身もまた、辛く苦しい過去があったので、困窮している人の気持ちが痛いほど分かるのだと思う。
「一緒にご飯を食べる人がいるって、それだけで幸せなこと。」
「ゆるく繋がる人間関係があればそれでいい。それが私が考える家族。」
との吉野の思いは、とても共感できたし、「子供食堂」もそうだけれど、この世の中に、こうした繋がりがどんどん広がっていけばいいなと思う。そう願っているだけではだめなんだろうけど。
春から夏前までやっていた、大好きだったテレビドラマ『コタローは1人暮らし』と、『日曜の夜くらいは』も、この小説のテーマと共通していた。
『コタローは1人暮らし』(原作は津村マミの漫画)は、事情があり、アパートで独り暮らしを始める4歳児のコタローを見守る、アパートの温かい繋がりをコミカルに描いた、切なくもほのぼのとした作品。
小さい子供は家や家族がその世界の全てだから、今現在どんなに辛くてもなかなか抜け出せないのが何とも可哀そうなのだけれど、この温かいアパートに住みたいと、羨ましく感じる子は、数限りなくいるだろうと思う。
『日曜の夜ぐらいは』も、それぞれ孤独を抱え困難な状況にあった若い女性3人が、偶然知り合い、友情が育まれていくストーリー。
大変なこの世の中、視聴者にとっても、「日曜の夜ぐらいは、ホッとできる時間を」という、脚本家・岡田 惠和さんの思いがこもった、こちらも心に残るとてもいいドラマだった。
主人公ふくめた登場人物たちが徐々に掴んでいく幸福感に、毎回しみじみした気持ちになれて、こんなに登場人物たちから幸せな気分を分けてもらえたドラマって、最近ではなかったように思う。(他にも色々あるのかもだけど、ドラマあまり見ていないので。)
話は戻り、この小説のラストでは、思わず泣ける場面があり、そして最後の数行の言葉は特に心に刺さった。
著者・若竹千佐子さんデビュー作の『おらおらひとりでいぐも』は、芥川賞受賞の年に読んだのだけど、訛りのきつい東北弁で語られていたためか、なかなか頭に入って来なくて、読み進めるのに苦労した覚えがある。
その時は、受賞作2作品が掲載されている「文芸春秋」を購入して読んだので、もう一つの受賞作である、石井遊佳さんの『百年泥』の方が心に残っている。
(『百年泥』とは、インド・チェンナイで日本語を教える主人公の女性が、百年に一度の大洪水に遭う話。)
でもこの『かっかどるどるどぅ』は、作品冒頭の「あいやぁ、今、今のこと」という言で、一瞬「またか」とは思ったものの、同じく東北弁の台詞が度々出て来ても、心が和むような温かみがあり、読みにくさは全く感じなかった。
200ページほどで字も大きく、心に響く箇所がたくさんあり、引き込まれるように一気に読んでしまった。
先月末、図書館でこの本と一緒に借りた、田坂広志さんの新書の感想も続けて書こうと思ったのだけど、長くなってしまったのでまたの機会に。
*
最後に、ちょっとライブの宣伝を(^^ゞ
明日日曜夜も、「越谷アビーロード」というライブハウスでのビートルズイベントに、「アビーローズ」というバンドで参加予定なのですが、17日(日)は、野外での無料ライブに出る予定です。
京浜東北線・王子駅前の「飛鳥山公園」にて、11時からの「大奥別館」というバンドに出演します。もしお近くでお時間がありましたら、よろしくお願いします。(雨天延期です。)
まだまだ暑そうだけど、どちらも頑張ってきます!(^^)/