つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

『君がいないと小説は書けない』白石一文・著

 

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(記録として書いているので、内容部分含んでます。)

 

この小説のタイトルと、新刊書評を読んで「圧倒的な人生哲学」という部分に惹かれ、図書館にリクエストして読んだ小説。

 

1月末に刊行されたばかりで、早く予約の順番が回って来たので真新しく気持ちよく読めた。

 

著者がこれまでの自分の体験を元に描いた初の自伝的小説で、読みやすく興味深い内容に始終引き込まれた。

 

文藝春秋に勤めていた時の編集者等の仕事や、上司、同僚達。同じく小説家だった父親。作家として一本立ちしてからの生活やその担当編集者達との絆。結婚の失敗。パニック障害。内縁の妻で引っ越しが趣味な、ことりという女性とのこと。

 

それらのことが、主人公の著者含め仮名だけれど、仮名やイニシャルを用いながら書かれていても、実在している会社や人物だと予想出来るところも興味深い。

 

後半、一緒に暮らすことりさんのエピソードはフィクションなのか?
実在する人物に対してこういった内容を書いてしまっていいのかなとちょっと心配になった。

 

これら生活面の中では、編集者時代のエピソードが一番引き込まれたけれど、全般を通しては、著者独自の哲学的思想が随所に垣間見られるところが特に興味深かった。

 

例えば、

「人は自分と似たタイプと通じ合う。

友情を育む相手を選ぶ時は、自分と似通った資質の持ち主を選択するし、
だからこそ友情の耐用年数は恋愛のそれよりも遥かに長い場合が多い。」


「類は友を呼ぶとは、資質の類似性だけに留まらない。
長く生きてみると、自分に起きたことが往々にして友人の身にも起こる。」

 

として、西城秀樹が亡くなった時の、野口五郎の弔辞を例に引用していた。
親友同士だった二人は、結婚した年も一緒だし第一子が生まれた日も近く、あまりの偶然にお互いびっくりしたという内容だ。

 

このような偶然の一致が、友人間ではまま起こると述べている。

 

私にもごく近い間柄で偶然の一致のような出来事が多々あったので、なるほどと思った。

 

私が、この意味のある偶然の一致や共時性を指すシンクロニシティという言葉を初めて知ったのは、もうウン十年前に読んだ遠藤周作の『万華鏡』というエッセイからだった。

 

これは、遠藤周作の不思議な体験を集めたエッセイで、今でも忘れられないくらいとても面白い内容だった。

 

遠藤周作は数多くの偶然の一致に遭遇している時に、シンクロニシティを提唱した心理学者であるユングの本に出合ったそうだ。


それは、人間は集合的無意識の中で繋がっているから、思いは何らかの形で外界に反映されるという考えらしい。

 


また対人関係について著者は、


「どうしても好きになれない相手と積極的に関わっていく必要はこれっぽっちもなく、それを耐え忍ぶことによって得られる果実は思いのほか小さく、ウマの合う相手と笑い合って過ごす時間がもたらす喜びの果実は驚くほど大きい。」


「私達はもっと幼少期から、人間関係を謳歌するすべを学ぶべきではないか。」

とあった。


私も歳を重ねる毎に、気の合わない人との付き合いはただただ時間の無駄だと感じるようになった。


バイト先で嫌な人がいてもそれを思い出すだけでも時間の無駄で、だから普通には接しても上手くやるために無理に仲良くしようとは昔と違い全然思わなくなった。


それとは逆に、ウマが合う人達との関係はより大切にして行きたいと思う。
当たり前といっては当たり前だけど。


また、


「自分達の首には生まれながらに双眼鏡が掛けられていて、それでお互いの心の中を覗くとたいていピンボケなのだけど、ある特定の人物に対しては一瞬でピントが合い、豊かな人間関係を築くためには、その双眼鏡ですぐにピントの合う人を見つけ出すことが何より必要だ。」

とも言っている。

 

このピントは、数多い書籍の中で、本を選ぶ時にも言えるなぁと思った。

 

 

著者が昔からウマが合う友人の不思議な話では、


その人は末期の肺がんを患った身で、テレビで見てピンと来たというだけで、聖地サンティアゴ巡礼の旅に出かけてしまうけど、旅の途中挫けそうになると、必ず一羽の白い鳩が頭上を舞って励ましてくれていたという話だ。

 

結果何十キロに及ぶ巡礼の道を見事歩き通して、帰国して一応手術を受け余命宣告をされても、その後すっかり完治したそうだ。


巡礼の旅というのは、そんな不思議な力も働くことがあるのかと思った。

 

このサンティアゴ・デ・コンポステーラという地名は、この作品の中で偶然の一致のワードとして何回か出て来るのだけど、その地名で直ぐ思い出すのは、このスペイン巡礼の地が舞台のロードムービーである『サン・ジャックへの道』だ。

 

この映画はコミカルな内容もさることながら、その巡礼地の景色がとても素晴らしく、いつか訪れてみたい憧れの地になったのだけど、それを観た数か月後に、度々友人や夫婦でその地を旅している知り合い二人から旅の話を聞く機会が次々にあったので、それも偶然の一致だったなとこの作品を読みながら感じた。

 

本当はその映画を観た後に、直ぐサンティアゴに行くチャンスが来たというのなら、まさしく偶然の一致だけれど。

 

 

また早くに亡くなった同じく直木賞受賞作家である父から、著者が一度だけ物を書く秘儀を教えてもらったのは、

 

「文章を書くというのは、紙の上で喋るということだ。
ペンを使ってちゃんと喋れるようになればそれでいいのだ。」

という事だそうだ。(語尾はまるでバカボンのパパのようだ。)

 

仕事の上司だった編集長から聞いた話では、40代初めの頃の三島由紀夫を担当していたその上司は、三島由紀夫こそ喋った言葉が完璧な文章になっている作家だったと話していたらしい。

 


それから著者が患っている、パニック障害の効果的な治療法の一つとしての「輪ゴムを使う方法」では、発作の不安が高じて来た時、手首に巻いておいた輪ゴムを引っ張ってパチンと鳴らすと、発作の恐怖を輪ゴムの痛みの恐怖にすり替えることが出来き、結果パニック発作を水際で防げるというものだ。


私も、パニック障害の友人がこの治療法を知らなかったら伝えようと思った。

 


その他で印象に残った箇所は、

 

「人間は、自分の意志で死ぬことが出来る唯一の生き物だ。
自殺が私達の意志で出来るならば、誕生もまた私達の意志で出来るのではないか。」

 

この世への誕生が自分の意志で出来るのではないか、とは考えも及ばなかった。

天から見下ろし、親を選んで生まれて来るという話は聞いたことがあるけど。

 

また、

 

「小説家になるには、その小説家になるための才能と同じかそれ以上に、小説家になるための人生というのが必要だと思っている。」

 

「我が身にふりかかる出来事を必然ととらえる習慣を身に着けると、人生で起こる様々な現象はみるみる繋がり始めて、それは一つの長い物語となり、私達自信を魅了するようになる。」

 

「人が死ぬと見えていたものは光速の飛行機に乗ってぐんぐんと私達から遠ざかっていくが、聞こえていたものは音速の飛行機に乗ってゆっくり遠ざかっていくのだろう。」

「だから、その人の姿形よりも声の方が、私達にはよく見え続けるのではないか。」

 

等々の言葉もとても印象的だった。


昔から私は、あらゆる物事について人はそれぞれどんな考えを持っているのかとても興味があったので、そんな好奇心をまさに満たしてくれる作品だった。

 

著者が都内を離れて遠い地方に住まいを移した理由の一つに、頼みの文庫本も売れなくなったからとあったが、私も文庫は購入して読むけれど、新刊はつい図書館にリクエストしてしまうので、たまには単行本も買わなければと思った。

 

家のリフォーム時に本をたくさん処分したので、それからは厚い本はあまり購入しなくなってしまった。

 

この『君がいないと小説は書けない』とは、最初著者から読者に向けたタイトルなのだろうと漠然と思っていて、「えっ!私がいないとですか?」と勝手にニマニマしたのだけど、読み終えてから、ことりさんという女性に向けたタイトルなのだろうと気が付いた。な~んだ。

 

では私もマネて、『君がいないと演奏はできない』というタイトルの小説をいつか書いてみようか。

ビートルズバンド仲間たちに捧ぐ(笑)

 

あ、読んで下さっている皆様、いつもありがとうございます!

 

『君がいないとブログは書けない』

 

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