つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

『森へ行きましょう』(川上弘美・著)

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タイトルに惹かれ図書館で借りた、昨年12月に刊行された文庫本。

このタイトルは、著者の川上さんと以前から知り合いだった、歌手・浜田真理子さんの曲のタイトルから付けたのだそう。後書きはその浜田真理子さん。

「森へ行きましょう~娘さん、アハハ…」という歌とは全く違うようだ。

 

主人公は1966年ひのえうまの同じ日に生まれた留津ルツ

パラレルワールドに生きる、二人の誕生から60歳頃までの人生を時系列に描いている。

人生という森の奥深くへ、それぞれ迷いながら進んで行く物語。

 

 二人の主人公の名前は表記が違うけど、二人の人生に関わって来る登場人物達の名前は、家族も含め皆同じで共通している。

友人や夫など、出逢う時代はそれぞれ違っていたりするけど。

 

二人の人生もそれぞれ違う。

留津は母親に疎まれて育ち、結婚後は仕事を辞めろと、女王のようにふるまう義母の言いなりに、専業主婦として夫や夫の家族に従順に仕える。

 ルツの方は、色々な恋愛を経験しつつ仕事を続け、ある年齢まではずっと一人で生きて行く。

ルツは理系で留津は文系でもある。

 

  誕生から、小・中・高校時代、進学、就職、恋愛、結婚など、順番に二人の人生が描かれて行くので、最初はどっちがどっちだかこんがらがってしまい、何度も前の頁で確認してしまった点が読みづらかった。

しかも最後の方には、また別の「るつ」達が少し出て来たりで(;’∀’)

 

でも、500頁を超えて最後までグングン読み進められたのは、読者を物語の中にひき込ませる著者の筆力ももちろんのこと、ぞれぞれ一人の女性の人生として、自分の人生と比較したり重ね合わせたりしながら興味深く読めたからだと思う。

それは、自分が生きて来た時にも重なる東日本大震災や、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件なども織り込まれていたのもあって。

 

東日本大震災のとき40代半ばのルツが感じたことは人は死ぬということ。

 「死は自分にふりかかるとしてもずっと先のことだと棚上げして来たけれど、それは、自分が生きているということも棚上げしていたってことではないか。」

そのとき初めて、自分が生きているということの芯を感じられたルツ。

 

その辺りの心情、よく分かる。その前の阪神淡路大震災が起こった時、その日を境に心から笑ってはいけないような気がしたという気持ちも。

 

生きていれば様々な岐路で選択の連続で、自分も含め人は誰でも、あの時あの道を選んでいたらどうだったかとか想像を巡らせることがあると思うけど、ルツも選ぶということは何て難しいことなんだろうと思う。

 

 「選ぶ。判断する。突き進む。後悔する。また選ぶ。生きている限りあらゆる瞬間に選択の機会はやって来る。自分で選択して来たと思っていても、それらはたして自分の意志で選択を行っていたのだろうか。」

「『運命』は選択の数だけ増え続けているのではないか。誰が自分の運命を決めているのだろう。」

 

と感じるのだけど、自分で選択しているようでも、もう最初からそうなるように決まっていたのではないかと私自身も感じることがある。

 

岐路に立って迷った時決断するにはどうしたら良いと思うか?と、昔知り合いに尋ねたときにその人は、

「それは、どちらの道も、その先にあるものを想像してとことん突き詰めて考え、選ぶしかないんじゃないかな。」と言われたことがある。

 この本を読んでいて、ずっと忘れていたその言葉だけを最初思い出し、それは誰に言われたんだっけ?と暫し考え思い出した。

その後会社勤めを辞めて、僧侶になった人だった。

おどけた口調でも、その方の誠実な物言いが心に残っている。

 

留津自身、

「もしも、という言葉は、人生にとって気を散らす言葉でしかない。」

との思いに至る。だから、

「自分は小説の中で、自分の人生でははかれないような誰かの人生を新しく生きてみる。その中の理解できないこと、違和感などはそのままに。

でもある日突然、よその誰かの人生のかけらの意味が分かるかも知れない。」

という気持ちの動きにとても共感出来た。

 また、

「(人の心の動きは)知らないからこそ暢気でいられる、ということは、対人関係において結構重要なことだ。」という言葉も心に残った。

 

たった一度だけ、留津とルツが鏡を介してお互いと会話するシーンが出て来る。

自分に向かって話しているようでも、自分ではない感覚。でも鏡に映った自分が、違う人生を生きるもう一人の自分だとは、お互い知る由も無いのだけど。

 

私も子供の頃、 鏡に映った自分は向こう側の世界に住むもう一人の自分じゃないかって思いにとらわれたことがある。

それは、『鏡の国のアリス』などの童話の影響だったのか。

または、ドリフのコントの影響だったのかな(笑)

 

主人公二人に関わる登場人物では、「林昌樹」が一番好感が持てた。

名前自体「森」に関連しているけれど、気の合うこんな性格の友達がいたら、と誰でも思うんじゃないかな。

 

川上弘美さんの作品は、かなり前に何冊か読んだ程度でご無沙汰だったけど、登場人物の心情や描写を説明するナレーションみたいなその語り口というか文体が独特な感じがした。

 

この作品を読んで、20年以上前に観た映画『スライディング・ドア』を思い出した。

グウィネス・パルトロウふんする主人公の女性が、その電車に乗れた場合と乗り遅れた場合の、二つの人生が同時進行していく話だった。

 

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グウィネス・パルトロウは、コールドプレイのボーカル、クリス・マーティンと一時期結婚していた女優で、アカデミー主演女優賞を受賞した『恋に落ちたシェイクスピア』より、私はこちらの作品の方が印象に残っている。

 

パラレルワールドというと、他にも似たような話がたくさんあったと思うけど、自分も、宇宙のどこか別の星で、自分と同じ人間が違う人生を歩んでいるのでは…

という空想は過去に何度も思い描いたことがあり、それはまんざらあり得ないことではないように思う。

 

 

 🌸🌸🌸

 

家の方の桜は、まだ開花がほんの少し始まったばかりだけれど・・・

これらの写真は、過去に4月初旬頃行った山梨県桃源郷笛吹市・八代ふるさと公園での桃や桜です。

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