主人公はスーパーで総菜を作るパートをしている主婦の真衣子。
会社員の夫と正義感強くはっきりものを言う大学生の娘、反抗期真っ只中の中学3年の息子との4人暮らしだ。
ある日、娘の奈月が大学の友人と3人で初めての海外旅行の計画を立て、その行先がベトナムに決まったと知らされた真衣子は慌ててしまう。
実は真衣子はベトナム人で、1978年5歳の時に家族と一緒にボートピープルとしてこの日本に来たからだ。
その事をまだ子供達には打ち明けられなかったので、娘のパスポート申請を機に思い切って娘奈月にはこのことを打ち明ける。
娘のベトナム行は偶然ではなく、運命的な必然だと感じたからだ。
この物語は、真衣子と奈月、そして真衣子の母春恵の三人の視点から、順繰りに語られていく。
春恵の章は、ベトナムでの穏やかで幸せだった時代、そして戦後のベトナム脱出までの様子が描かれている。
自分のルーツであるベトナムについて、今まで頑なに触れて来なかった真衣子に対し、母からの衝撃の告白を受け、最初こそ驚いたものの、娘の奈月はベトナム旅行までに母方の家族にも当時のことを訊きに行き、ベトナムやベトナム戦争のことなどを徹底的に調べる。
当初、奈月達のベトナム観光は、ホーチミンとリゾート地のフーコック島と決めていたけれど、友人にも事情を打ち明けて、フーコック島は止め、ホーチミンと真衣子家族の故郷であるニャチャンに行くことを決める。
読んでいて、真衣子に比べると奈月自身もその友達も、若さゆえもあるだろうけど、とても心が柔らかく軽やかで拘りがないと感じた。
ベトナム旅行で奈月達は、観光地だけでなく、戦争の爪痕が残るクチトンネル、戦争博物館にも足を運ぶ。
そして母一家が住んでいたニャチャンでは、思いがけず温かな触れ合いが奈月を待っていて、その部分は、前に観た映画『幸福路のチー』での、チー一家の回想場面のような温く素朴な情景が思い浮かび、とても胸が熱くなった。
この物語を読んで、自分はどれだけベトナム戦争の実態やその後などを知っていたのだろうと感じた。
ベトナム戦争やボートピープルの人達のニュースは、当時のニュースなどの情報からその映像と共にうっすら覚えている程度だ。
南ベトナムに加勢していたアメリカ軍。そのアメリカや世界中で沸き起こった反戦デモ、様々なミュージシャンによる反戦歌。
ベトナム戦争と聞くと、戦争の実態よりそちらの記憶の方が鮮明だ。
他に覚えているのは、当時米軍の散布した枯葉剤の影響で結合双生児として生まれ、
日本でも有名だったベトちゃん・ドクちゃんが手術のため来日したニュース。
南ベトナムのサイゴンが陥落し、政府によってサイゴンからホーチミンと名前が変えられた時に、真衣子の両親の会話で、
「ホーチミンではなく、ここは僕たちにとっては永遠にサイゴンだ。」
という台詞を読んでも、かなり前に観たミュージカル『ミス・サイゴン』の内容を連想的に思い出しただけだ。
真衣子は、米軍が南ベトナムから手を引こうとしていた頃に生まれた。
その後、共産主義である北ベトナムに敗戦してからの南ベトナム人の自由が失われた悲惨な様子や、家族がボートピープルとして脱出する時の様子が、この作品では春恵の回想によりリアルに描かれている。
当時の南ベトナムの人達は、陸海空からの脱出で可能性があるのは唯一海からだけだったそうだ。
その海からの脱出も、奇跡的に生きながらえたのはほんの一握りの人達だったことが分かる。
南政府のお偉いさん方は、終戦時我先にと飛行機でアメリカに飛んだらしい。
戦争によって最も悲惨な目に遭うのは、国や時代が違っても常に一般市民だということが、この小説からも改めて思い知らされた。
北ベトナムの警備艇に見つからないように、わざわざ台風が来るチャンスを狙って、夜更けに家族二手に分かれ、沖に停泊してある漁船まで小舟で乗り付け、その漁船で南シナ海に出て、どこかの船に助けてもらう。
台風の時は船は出さないのが常識だけど、それとは逆に、
「脱出の今夜はどうぞ海が荒れ狂いますように。」
と祈るなんて、想像しただけでも恐ろしく私にはとても考えられない。
それだけ、南ベトナムにいるよりは一縷の望みをかけて国外に脱出をした方がマシだったということなんだろう。
多くのボートピープルが助からなかったのに対して、幸運にも真衣子達が乗った船は一週間漂流後に、日本行きのノルェー国籍船に助けられ、無事日本に一時入国してその後帰化する。
真衣子一家以外の脱出時の話でも、
15mの長さの船に百人以上乗っていて、屋根まで人が乗りびっしりだった。
一月以上漂流して助けられた時は虫の息だった。
など、著者が取材したボートピープルの人の体験談も小説に取り込まれていた。
そしてこの物語は、奈月の友人の祖母の言葉を通して、当時の沖縄県民の思いにも触れている。
昔は中国や薩摩藩に翻弄され、日本の領土になったら戦争で盾にされた沖縄の人々も、ベトナムと同じく色々な国に翻弄され続けた歴史があったので、当時ベトナムにとても同情していた。
だからベトナム戦争時は、沖縄基地からベトナムに向けて米軍の爆撃機が飛び立って行くのを見る度、ベトナム人に対してとても申し訳ないと思っていたそうだ。
こんなことも、この小説を読んで初めて知ったように思う。
作品の終盤、
「親に出来ることはほんの少しで、たまたまお腹を貸しただけかも知れない。」
と真衣子が二人の子供の成長に感じる場面も印象に残り、
それは、まさに親である真衣子自身の成長に繋がって行ったのがよく分かる。
また娘の奈月も、
「南側、北側、通称ベトコンの人、皆自分の正しさを信じて戦った。
当事者でない人はああだこうだと言うけれど、本当は誰がいいとか悪いとかない。」
だから、
「(弟に対して)振りかざした自分の正義なんて下らない。」
との考えに思い至る場面や、
九死に一生を得た母親家族のその奇跡の連続の中で、自分が存在するんだということに気づいた奈月の気持ちが表された部分が特に心に残った。
この小説は、装丁が美しいのも印象的だった。
この表紙のターコイズブルーは、和名でこんぱるいろ(金春色)というそうだ。そして可愛い黄色い花は、ベトナムの花ホアマイ。
その意味するところが分かるラストの部分はより胸にグッと迫って来た。
読んだ後、この装丁のような青い海がどこまでも目の前に広がっているような気分になり、さわやかで温かい気持ちに包まれた読後感だった。
私が3年前から参加している、外国人に日本語を教えるボランティアサークルにも、日本男性と結婚して来日した、ハさんという若いベトナム人女性が熱心に通って来ている。
そのハさんも、この作品に出て来る真衣子や奈月のように小柄で可愛い女性だ。
ベトナムもいつか行ってみたい憧れの国の一つなので、前にハロン湾などの観光地や好きなベトナム料理の話をしたら、ハさんは嬉しそうにスマホからベトナムの主要観光地、ベトナム料理など画像で見せ説明してくれたことがある。
今度会った時は、この小説のことも話してみようかな。
著者である椰月美智子さんの作品は他に、だいぶ前に『るり姉』を読んだことがあるけれど、この作品も読後感が温かい良い作品でした。
長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
金春色の海って、以前旅した北海道・積丹半島の積丹ブルーみたいな色かな。