つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

その両親もふくめ個性豊かな『東家の四兄弟』(瀧羽麻子・著)

「この世界には二種類の人間が存在している。占いを信じるものと信じないもの。」

という冒頭の一文。

皆さんは、どうでしょう?

私は、「当たるも八卦当たらぬも八卦」というスタンスでも、どちらかというと信じてきた方でしょうか。

それは子供の頃から家に、父親が毎年買っていた九星気学の易の本があったので、自分も参考にしていたり、

また、中学時代一番仲が良かった友達のお兄さんが、その父親の影響から占いを本職としていて、度々、友達経由でアドバイスしてもらったことがあるから。

その友人の兄は、今も都内で占い教室を開いているのだけど、生年月日など数字を用いた占いで、一種の統計学だと言われていたような。

LINE登録していて、毎日配信されてくる、「石井ゆかりの星占い」は、肯定的なことしか書かれていないところが好き。石井ゆかりさんは、今はブログ休止中のブロ友さんから教えてもらったのだった。

と、前置きはさて置き・・・

 

この物語に登場する東家は、父親が占い師。

優秀な保険外交員の母親と、その息子達4人の物語。

息子たち4人、それぞれの視点で描かれ話が進んでいく、連作短編集のような構成。

長男・朔太郎は、早くに実家を離れ、九州の大学で植物(主に「苔」)の研究をしている。

次男・真次郎は、父の跡を継ぎ占い師として、父親が開業した占いの店を二人で切り盛りしている。

会社員で倉庫勤務である三男の優三郎は、人と関わるのが苦手で、子供の頃から体が弱いが、美男子で一番女性にもてる。

四男・恭四郎は大学生。活発で、世渡りが上手いタイプ。

 

この物語に遅れて登場する長男・朔太郎は、実家に帰省するのも年に一度。それも日帰りでたったの数時間だけ。

家族の誰とも打ち解けて話をしないのは何故か。父の仕事を、子供の頃から嫌っていたのは何故なのか。その辺の事情も後々分かってきて、またその理由が切なかった。

 

中学卒業までは、養護施設で育った母。

占い師である夫よりも直観が鋭いのは、天性の才能のようだ。

家族もお金も学歴も持っていない自分は、原始時代の人間は皆持っていたという、この直観力に守られてきたのかも知れないと、夫の師匠の言葉から気づく。

その師匠の、「目に見えないものや手で触れられないものの存在を、現代人はほとんど忘れかけている。」というのは、昨年読んだ『始まりの木』他、最近度々目にしている言葉。

体の弱い優三郎も、タロット占いが得意で、両親の血を受け継いでいるところがある。

特に大きな事件が起こるわけでもないけれど、そんな個性豊かな東家の話に惹かれ、最後まで面白く読めた。

 

中でも、家族と交わろうとしなかった朔太郎と、職場の人間関係に思い悩んでいた優三郎との、ホロッとするような温かい交流場面が一番心に響いた。

その場面で朔太郎の、「生き残るのは強い種じゃない。環境に順応できた種だ。」という、いかにも植物の研究者らしい言葉や、

「今いる場所に合わせるか、もっと合う場所を探しにいくか。世界は広いしな。」という台詞も心に残った。

そうですよね、悩んでいるときは視野が狭くなりがちだけど、世界はもっと広いと、視点を変えられればいいのだけど。

家の外で直面している問題は、家族に気安く打ち明けずらいというのは、私も子供の頃は特にそう感じていた。この東家の兄弟たちも同じで、家族に相談したくても出来ないと、それぞれ葛藤している胸の内がよく伝わって来た。

ほか、兄弟だからこその互いへの嫉妬心や、反発心などはあっても、概ね仲が良く、互いを思いやる気持ちが伝わって来て、東家は良い家族なのだ。

さっぱりした関係性も、男兄弟ならでは、で。

 

またこの物語では、占いの仕事でも人間としても、父には敵わないとコンプレックスを感じている次男・真次郎の思いを通して、占いの歴史や、占いそのものついての考えも記されていて、その点も色々興味深かった。

父親は、「四柱推命」や「易」を主に得意としている、東洋系の占術

真次郎は主に「西洋占星術を扱っている。

西洋占星術は、人間の生まれ持った運命や運勢を俯瞰して占える。

個人の運勢を占うには、出生時の時刻と場所を基にした、ホロスコープを使うのが一般的。

ホロスコープを描くのなら、誰にでも出来るけど、難しいのは、そこに秘められている意味をどう解釈するか。

一方タロットでは、直観がものをいい、直近、かつ具体的な問題の答えを探るのに向いている。

そういえば、以前、仕事仲間に霊感が強い人がいて、自分のタロット占いはよく当たるんだと言ってたっけ。

その時のまた別の仲間は、占いの学校へ通い、副業として土日だけ、都内の「占いの館」で暫く働いていた。でも、占い学校の先生のブースばかり人気で、友達の所は閑散としていたそうで、ほどなく辞めてしまった。

 

占いの歴史について

古来、占いは社会や政治と密接に結びついていた。

西洋でも東洋でも、当代きっての賢人たちがこぞって研究し発展させてきた。

歴史上、時の権力者が、占い師や祈祷師を抱え込んでいたという例は事欠かない。

占いは非科学的だと謗る向きもあるが、かつては科学と相反するものとはみなされていなかった。

どちらも、この複雑極まりない世の中を読み解くための手段だった。

これらのことが、真次郎の仕事に対する誇りにもなっているのが伺えた。

私の友人のお兄さんの顧客にも、政治家などお偉いさんもいると言っていたっけ。

「占いの歴史」といえば、以前読んだ『人生のレシピ-哲学の扉の向こう』という本にも、古代ギリシャの占いのことが載っていた。「夢占い」「占星術」「鳥占い」「生贄占い」など、占いの専門家がいたそう。

 

「占い師といっても超能力があるわけではなく、でもそれを勘違いしている客の方が多い。」

「占いというのは、それを必要としている人間に、また必要としているときに届くのだ。」

「機会を逃さず行動するというのは、占いの世界にも通じている。」

「運勢には波がある。その波を乗りこなすにはどうすべきか、占い師は客に進言する。」

「占いの目的は、誰かを支配することではなく、よりよい人生を歩んでもらうため。それは薬と同じ。弱っているときは効くが、回復すれば飲まなくてもよくなる。」

などの言葉にも納得で、共感しながら読んだ。

占い師の心がけとしての、「どんな話でも先ずは傾聴すべし。そこから信頼関係も生まれる。」というのも、人間関係全般にいえることだと思った。

 

物語の終盤、ハワイ島に昔から伝わる伝説と関連して、とても素敵なシーンが用意されている。

ホームドラマのような雰囲気で、気軽に読める物語だった。

各章ごとは、★のマークで表されている。長男なら★一つ、次男なら★―★というように。語り手が頻繁に入れ替わるので、★があることで話の流れが分かりやすかった。

 

この本は昨年秋、図書館の新刊案内にあったので予約し、やっと順番が回ってきて先月読みました。