図書館の新刊案内にあったので、上下巻とも数か月前に予約してみた。
上巻はやっと先月順番が回って来て、下巻の方は、上巻を借りると順番を早くしてくれるようで、間を置かず続けて読むことができた。
上下巻とも分厚くページ数は多かったものの、読みやすく物語にぐいぐい引き込まれ、私にしては短期間で読めてしまった。
心に染み入る箇所は多々あったけれど、特に下巻での、物語から15年後を描いた最終章では、涙腺崩壊だった。
といっても、作品全体はユーモアにあふれ、ほのぼのとしていた。ナレーションのような語り口も、とぼけた味わいがあって。
『横道世之介』は、最初の作品が映画化されたのを当時観たけれど、小説の方は、最初の『横道世之介』を読んだような、読んでいないような…。
小説はそれから、『おかえり横道世之介』に続き、今年5月に発売されたこちら上下巻の『永遠と横道世之介』が完結編のようだ。
以前観た映画の印象は、横道世之介の人柄にとても親近感を覚え、作品全体通して温かくていいなぁと思ったものの、終盤、意表を突かれた話の展開に、とても悲しかったのを覚えている。
最初の話では大学生だった世之介は、今回は39歳でカメラマンの仕事をし、籍は入れてないけれど恋人の、あけみさんが経営する「ドーミー吉祥寺の南」に住んでいる。
上下巻通して、その年の9月から翌年8月までの、そこの下宿人たちや仕事仲間との一年間が描かれている。
個性豊かな下宿人たちとの何気ない日常。
読んでいくほどに世之介ほか、登場人物たちに親近感が湧いてきた。
その下宿に、中学校の修学旅行の仕事で世之介が知り合った、教師・ムーさんの引きこもりの息子、一歩も住み始める。
息子に関する悩みは深刻であっても、ムーさん夫婦は時々、映画のエキストラに応募して、世之介や下宿人たちと揃って、撮影場所に出かける場面も面白い。
一歩も世之介や下宿人たちのペースに巻き込まれ、いつの間にか一歩踏み出せることになる。
下宿の住人の中で、元コメディアン志望で広島出身の礼二が、憧れの志村けんに、ドーミーのそばでバッタリ出会ったときの場面もとても良かった。
世之介は、小心者でお調子者だけど、穏やかで常に自然体であり、拘りなくひょうひょうと生きていて、周囲の皆から慕われている。
そして、数年前に愛する人との辛い別れを経験している。
世之介がその女性、二千花と出会ったとき、二千花は既に余命宣告を受けていた。
その二千花が世之介に余命を伝える場面で、世之介が二千花に返した言葉が、いかにも世之介らしくて心に沁みた。
この世之介たちの台詞を通して、作者の死生観が伝わってくるような、そんな場面も心に残った。
例えば下巻での序盤、世之介はキャンプに行っていきなり危機的な状況に陥る。
その場面で、亡くなった二千花を思い、
「死ぬってなんなんだ。死んだのと、会えないのと、何が違うのか。それは会えないだけじゃないのか。だからいつか会えるまで待てばいいや。」
という世之介の台詞にはとても共感できた。
「自分や他の人が死んでも、世の中は変わらず動いていくけれど、でもその人がそこにいた世界と、最初からいなかった世界とでは、やっぱり何かが違う。それが一人の人間が生きたってこと。」
たとえもうこの世にはいなくても、思い出の中だけではなく、自分の目の前に広がっているのは、確かにその人が生きていた世界であり、その中で自分も今生きている。
ということに改めて気づかされた。
また、少しの間下宿人の仲間になる、ブータン人のタシさんの言葉からも、ブータン人の死生観や、お金や物の価値に対する日本人との考え方の違いが心に残った。
南郷という世之介の先輩の、「どんな生き方だったらいいのかなと、ふと思う時がある」との言葉から、
「いっぱい笑って、いっぱい働いた。いっぱいサボって、そんでもって、いっぱい生きたなー、って。」という台詞がいかにも世之介らしく、自分もそんな風に、いっぱい生きたなーって、最後に思えたらいいな思った。
「ドーミー吉祥寺の南」は、あけみの祖母が始めたのであり、その祖母が芸者だった時代、あけみの父がまだ子供だった時の話にも胸熱くなった。
「下巻」では、過去に遡り、二千花とのエピソードも多く登場して心に沁みた。
二千花の両親が出会った当時のエピソードも微笑ましくて。
長崎の世之介の両親が若い頃のエピソードも良かったな。
その長崎で、世之介が二千花の両親と共に、二千花の「精霊流し」を行った、その情景も心に残った。
「この世で一番かっこいいのは、リラックスしている人。」と思う世之介。
リラックスしているときは恐怖心が無いってこと。
世界中の人が、リラックスした時間を多く持てますように。
そしてこの小説が、出来るだけ多くの(特に悩み多き)人に、届きますように。
読み終えて、そんなことも感じたけれど、誰かのことを思えるってことが、どれほど恵まれていて贅沢なことか…。そのことにも、文中の台詞から同時に気づかされた。
一瞬の永遠を切りとるのがカメラマン。
世之介自身も、この作品を読んだ人の心に永遠に息づいていくような、そんな小説だった。
鎌倉や、その海の場面も頻繁に出てきたので、また映画化されたら観に行きたい。
過去作を読んでいなくても、この作品から読んでも大丈夫と作者の言葉があったけれど、また過去の作品も読んで、世之介に会いたいと思った。
夕焼けが美しかった最近の写真です。