つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

『いつか必ず死ぬのになぜ君は生きるのか』『歩きながら考える』~最近読んだ本

『いつか必ず死ぬのになぜ君は生きるのか』立花隆・著)

この本は、2021年4月に亡くなられたフリージャーナリストである、立花隆さんの膨大な著作の中から、「人間とはなにか」など、80年の生涯を通して立花さんが追い求めて来たテーマを中心に言葉を抜き出し、再構成して作られたもの。

立花さんの書籍は、20年ほど前に分厚い臨死体験を読んだだけと思うけど、この本も今でも忘れ難い面白い本だった。

<目次>

  • 人間とはなんだろう?
  • 死とはなんだろう?
  • 人はなぜ生きるのか?
  • 人はどう生きるのか?
  • 考える技術
  • 今を生きる人たちへ

目次もどの章を見ても、興味津々だった。

立花さんは若い頃、自分の死がどうにも怖く、文芸春秋に入社したけれど、数年後に退社し、東京大学哲学科に入り直したそう。

その後その活動は、文系や理系の垣根を越えた学問の融合という観点から、時代の最先端の科学に目を配り取材を続け、晩年は自らの癌の闘病生活も客観的に取材し、テレビのドキュメンタリーを制作してしまうほど、好奇心にあふれた生涯だったそうだ。

 

本書の中で特に、脳死についての立花さんの考えが興味深かった。

心臓の鼓動が止まって死に至るのとは違い、「脳死」については、多くの医師の間でも意見が分かれるほど、未だ解明されていない部分が多いのだそう。

「脳」とはそれだけ複雑で不可思議な機能であり、何をもって「脳死」と言えるのかわからないとのこと。

だからこそ、立花さんは、

「(人間の)全機能停止をいうには、慎重にも慎重であるべきである。可能な限りの機能検査を取り入れるべきである。」といわれている。

自分自身は、無意味な延命治療は、はなはだごめんだと以前から思っているけれど、この本を読んでから、もし身近な人が脳死判定された場合、心臓が動いていて温かい体を、脳が死んだからと言われても、その死を受け入れることはより難しいのではと感じた。

でも、ドナー不足といわれる中、身近な人や自分が移植を待つ立場だったとしたらと、逆の立場で考えると、複雑な気分であり難しい問題だと思う。

 

「宗教にはまらないために」については、

たいていの宗教が「永遠の命」を約束しているから、永遠の命を欲すると、簡単に宗教の罠にはまってしまうのだといわれている。

 

やりたいことをやれ。勝ち負けで生きるな。

人から与えられた正解に満足してはいけない。

自分の生き方を模索している間は青春であり、世間の常識から一歩も外れないようなことばかりいうなど、精神まで老いてはいけない。

と力強い言葉が並んでいて、いちいちなるほどと頷いてしまった。

また、「旅の価値・人生の価値は、成り行きにある。脳で色々考えすぎるとだいたい失敗するので、考えすぎず、反射神経の赴くままに行動すると、だいたい正解に当たります。」との部分、この反射神経というのは、直感や心のままにという意味なんだろうな。

「読書の14か条」についての各項目についても興味深かった。

 

最終章『今を生きる人たちへ』での、“時代を甘んじて受け入れる強さをもとう”の項目では、

「歴史には法則性などなく、人間は常に失敗を繰り返すものであり、個人的失敗と集団的失敗が交錯して、織りなされる失敗のアラベスク模様が歴史なのだ。」

との部分も、今の世の中と照らし合わせても最もだと感じた。

なので、個人的なことも世の中のことしても、「基本的に、自分の期待通りには動かないと思っていた方が、気が楽である。」ともいわれていた。

そして、

今を生き抜くために必要なのは、「情報力」。

「情報力」とは、その情報が正しいかどうか判断する能力。

それぞれを比較して、本質を見つける力をつける必要がある。

人は自分が信じたいことはたやすく信じてしまうので、常にウラ取りをする習慣をつける。

と説かれている。

その度に裏を取るのは、なかなか難しく感じるけれど(刑事じゃないので^^;)、それと関連して、やはり最近読んだこちらの、

『歩きながら考える』で、著者ヤマザキマリさんも同じようなことをいわれていた。

抜粋すると、

『正しさ』への疑念、情報を見極める力」が大切であり、「メディアからの情報や、周囲の人々の言葉に流されていると、見えるべきものが見えなくなってしまうことが往々にしてある。」

「世間の倫理や常識は、一端吸収したうえで、疑ってみる。そして、自分なりの審美眼を鍛え、自分の頭で考える実践を積んだ上で獲得できるものが、自分にとっての『真理』であり『良識』です。」といわれている。

また、「『専門家』という人々の言葉を、私たちは正しいと捉えがちだけれど、信憑性を掲げた、いかなる推察や憶測も、誰かの利益のために発信されていることは認識しておくべき。」とのことで、

確かに、コロナ禍からも、たくさんの専門家がメディアに登場していたけれど、そういわされているんだろうなぁ、と感じたことは度々ありましたっけね。

「世間体や、宗教の教理から生まれたルールに囚われない。」

という部分なども、立花さんの考えと共通していると感じました。

 

こちらの『歩きながら考える』は、パンデミック下、日本に長期滞在することになった

「旅する漫画家」ヤマザキマリさんが、移動の自由を奪われた中で、新しい環境に適応し、様々な気づきや発見を記録された本。

いわれてみれば、移動や旅とは、横へ動くだけではなく、過去に遡ることも同じかも知れない。

ヤマザキマリさんが動けない間鑑賞したDVDなどで、ドリフの笑いは世界に通じるなど、ドリフや落語における笑いについての考察や、古き良き時代の日本映画などについて書かれた、「知性と笑いのインナートリップ」の章もとても面白かった。

ワクチンをめぐるリテラシーや、群衆と権力などについても興味深い内容であり。

 

返却期限が迫ったため、後半は目がとぐろを巻くような速さで読んでしまったけど、経験に基づいた柔軟な家族の在り方など、色々考えさせられ、こちらも読んで良かった思えた一冊だった。

 

どちらも図書館に予約していて、この立花さんの書籍と一緒に借りた、『死は存在しない』(田坂広志・著)も、今回一緒に感想をUPしたかったのだけど、またまた長くなってしまうので、またの機会に。つい、何でもまとめて書いてしまいたくなる私。