つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

読書感想『八ヶ岳南麓から』『人生に期待するな』『変な家』

先月読んで、面白かった本の感想です。

八ヶ岳南麓から』上野千鶴子・著)

ずっとアパートやマンション暮らしだった上野千鶴子さんは、50代で八ヶ岳に土地を買い、家を建てた。それから20年暮らしてきた。

コロナ禍からは都内と行ったり来たりでなく、仕事もリモートで、ほぼ定住状態に。

本書はそれらの日々が綴られているエッセイ。

自然の営みの中での生活は、思ってもみなかった色々な苦労も書かれていたけれど、大自然の四季の移り変わり、春から夏への生命が湧き立つ感じなど、読んでいてその清々しい情景が目に浮かぶようだった。

富山県出身で、大学時代はワンダーフォーゲル部に所属し、スキーも昔から大好きな著者。過酷な冬でも、朝誰もいない時間帯に1時間ほどスキーを楽しむなど、持ち前のバイタリティを感じた。

元々住んでいる別荘族に、住む前から色々リサーチしたり、具体的なアドバイスをもらったり、準備万端で住んでみても、実際住んでみないと分からなかった苦労も色々書かれていた。

都会に住むのとは違い、インフラ整備も大変だったようだ。

なのでそのノウハウは、移住希望者が本書を読んだら参考になると思う。

引っ越してから、移住者同士で助け合うコミュニティとして、「猫の手クラブ」が発足されたそう。

車の送迎など、無料では頼みにくいから、1ニャン=500円で「ニャン券」という地域通貨を発行していたのは、いいアイデアだと思った。

その「猫の手クラブ」の会員たちも、今や高齢化が進み休業状態とのこと。

 

男性がお一人様になると、都会の子供に引き取られる傾向があるのに対し、女性がお一人様になると、その地に居つくと言う点も興味深かった。

それから、移住者夫婦の「八ヶ岳離婚」も多いのだとか。(以前、同じく夫婦で八ヶ岳山麓に移住した、井上荒野さんのエッセイにも書かれていたけれど。)

それは、夫婦で密着する時間が長いからだそう。

アメリカの離婚は、長期休暇の後が多いのだとか。

適度な距離がある方が上手くいくのは、夫婦に限らず、友人関係など人間関係全般にいえることだと思う。

夫は山暮らしで、ときどき週末に妻が訪ねて来るカップルは仲が良いとか。

病院が近くに無かったのも問題だったけど、医師カップルが移住してきて開業し、心強くなり、終の棲家を見据えた福祉も充実してきた様子。

 

今現在は、別荘地の中古物件が、おそろしく安い値段で出回っているのだそう。

「人口密集地に住んでいる人は、自然に接する機会を持つためにも、大地震などいざという時のためにも、セカンドハウスを持っていた方が良い。」と言っていた、養老孟子さんの言葉が頭を過り、私も元々八ヶ岳周辺が好きだし、つい憧れてしまった。

夏の超簡単クッキングとしてのサラダもメニューも、いくつか紹介されていた。

「レタスを大ぶりに割いてボウルに盛り上げる。その上に韓国海苔をもんで山のようにふりかけ、ほんの少し塩とごま油を足す。」などのサラダ料理も試してみたら美味しかった。

 

『人生に期待するな』北野武・著)

~全ての悩める現代人に捧げる、たけしによる福音書

ビートたけしさんの書籍を読んだのは初めてだと思うけど、漫才をやっていた頃からテレビではよく見ていて、その発言にも以前から共感するものがあった。

ビートたけしのTVタックル」も、家にいる時は度々見ていたり。

社会や芸能ほかあらゆる問題を討論するこの番組、たけしさんの毒舌というかストレートな物言いに、スカッとする場面も多々あって。

コメンテーターも変わってきて、最近はたまに見ている感じだけど、たけしさんの発言も昔より毒が少なくなってきたのは時代の流れで、仕方ないのかな。

このエッセイでも、テレビ局がコンプライアンスにビクビクしていて、「テレビは、スポンサーや視聴者からのクレームに敏感になり過ぎていて、もう全然面白くなくてだめだ。」と書かれていた。

今の世の中の息苦しさは、ドラマ『不適切にもほどがある』が流行った理由からも、よくわかる気がする。

【目次】

第一章 このおかしな世の中はどうできているのか
第二章 人生をどう生きるか
第三章 エンターテインメントの怖さ
第四章 人間いつかは誰だって死ぬ
あとがきにかえて ~人生に期待するな

例えば、第一章『このおかしな世の中はどうできているのか』では、

「みんな、ニワトリ小屋のニワトリだよ」「ひとりでも生きていけるのに」「人工知能に支配される集団」「『常識を疑う』ことの大切さ」など、興味深いテーマが並び、目次を読んでいるだけでもうんうん頷いてしまう。

「おいらは、素粒子論とか量子力学宇宙論相対性理論が好き。」と、たけしさん。といっても、小難しい話が出て来るわけでもないけど、本書からも、ご自身の興味が多岐に渡っているのを感じた。

「人間の脳は実に得体の知れないもの。この得体の知れない脳を持たされた人間は、自分の脳でさえ、ちゃんとコントロールできないし、その得体の知れなさも理解できてない。」

「人間は他の生き物と同じなのに、なぜ超越した存在のように振舞うのかというような、重要な疑問をほったらかしにしてきたのと同じように、自分の脳さえ満足にコントロールできないというギャップが、色々な問題の背後にあるのかも知れないね。」

「地球上で起きている問題の大半は、人間があまりにも多くのエネルギーや資源を無駄遣いしていることが原因だ。」

などの言葉にも納得。

親や先生など大人たちが、子供に対して「夢を持て」というのも、簡単に言ってはいけないのだと、釘を刺していた。

「一生懸命やってもうまくいくとは限らず、どうにもならないこともある。それが普通で当たり前だってことを、教えるのが教育だろう。」

大人は良かれと思って、子供に対して理想論を語り過ぎるのかも。

「夢なんか叶えなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。」との言葉にも、多くの人が励まされそう。

子どもも、親の自慢話より、失敗談の方がよっぽど参考になり、心に残るらしいし。

 

お笑いは一番やりたかったことではなく、第二志望だったというのも意外だった。

その第二志望で成功できたから、映画や絵画や小説など、自分にとって本来やりたかったことができたのだとか。

 

「あとがきにかえて ~人生に期待するな」での、これらの言葉も心に残った。

どんな高いワインより、喉が渇いたときの一杯の水の方が旨い。

母ちゃんが握ってくれたおにぎりより旨いものはない。

贅沢と幸福は別物だ。

つつましく生きていても、人生の大切な喜びは全て味わえる。

たけしさんがそう思えるのは、浅草演芸場で駆け出しだったころ、安アパートに住んでいたときに感じていた幸福感を、決して忘れないでいるからのようだ。

成功体験を重ねていても、常に自分を俯瞰してみている、もう一人の自分が子供のころからいたから、地に足が付いた考え方が出来るのだろうと思った。

本書でも、物事を客観的に見る「客観脳」をすすめていた。

他にも…

「誰も死ななくなったら、死ねないって怖さが出て来る。」

「政治家には資格試験が必要だ。」

などにも同感。

「支配する側から抑えつける圧力は、どんどん巨大になってきている。間抜けな民主主義と一緒で、自分の生き方や考え方が少数意見だど、大多数の意見につぶされちゃうような時代。」

というのも、ごもっともと思うと同時に、ご自身の経験を踏まえた本心だと思うと、たけしさんを取り巻く環境も、色々大変なのだろうと改めて感じた。

スマホやネット依存は奴隷の手鎖と同じで、自分から好き好んで奴隷になっているようなもの。スマホなんて捨てちまってみんな自由にならないと、みんなどんどんおかしな世界に入り込んでしまう。

という言葉にも、すごく共感した。(^▽^;)

私も日頃から、自戒を込めて感じていることなので。スマホが見当たらないだけで凄く慌ててしまうなんて、スマホに頼り過ぎで、まるで人間が機械に支配されてしまったよう。

 

『変な家』(雨穴・著)

最近映画化もされた話題作。怖い話は苦手だけど、気になったので読んでみた。

家の間取り図を見るのは昔から好きなのもあって。

私は図書館で早めに借りられたけど、返却時には50人待ちになっていた。

著者の雨穴(うけつ)さんは、オカルト系の記事を専門としているウェブライター。

YouTubeで連載されていたそうだけど、その動画は未見。

知人が、購入を検討している都内の中古一軒家。

ごくありふれた物件に思えたが、間取り図に「謎の空間」が存在していた。

知り合いの設計士に見せると、そこかしこに「奇妙な違和感」が存在するという。

不可解な間取りの真相に迫り、「変な家」の全ての謎が解き明かされる完全版。

(裏表紙のあらすじから抜粋)

 

恐る恐る読み始めたら、直ぐに話に引き込まれて一気に読んでしまった。

話が進むにつれて、他の間取りも色々登場して、話の内容と照らし合わせると、恐ろしさが増してきた。

その話の中盤、家の因習的なおどろおどろしさを感じた場面は、「八つ墓村」を思い出してしまった。(「八つ墓村」の方が怖かったけど^^;)

この小説はさほど怖くはないく、結末も想像していたのと違っていて、暗くなくてホッとした。

でも後半、語られる人物が多すぎて、その関係性が誰が誰やら分からなくなってきた。

映画版はまた結末が違うようで、ホラーチックのようだ。

なので、映画の方はパスしておこう。