つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

『法華経:誰でもブッダになれる』(植木雅俊・著)

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普段、お墓参りや葬儀・法事などでお寺に出向いたり、仏像を見るのは好きでも、仏教そのものについては詳しくない私。

図書館の新刊で、『般若心経』と並んで日本人に馴染みのある経典『法華経』についての本があったのでリクエストして読んでみました。

『般若心経』は昔、関連書籍が流行った頃に解説本を購入したけれど、ちゃんと最後まで読んだのかどうか覚えていません。

以下、自分が覚えておきたい箇所を抜粋し備忘録としてまとめておきます。

その前に、ブッダ仏陀)と釈迦の違いを調べてみたら、釈迦とは、2500年前に生まれたゴーダマ・シッダールという仏教の創始者のことであり、一般的には釈迦のことをブッダと呼ぶけれど、ブッダとは本来は個人を表すものではなく、「目覚めた人・悟った人」という意味だそうですね。

 

植木雅俊・著『法華経:誰でもブッダになれる(100分de名著ブックス)』NHK出版/2021.6.24発売)

サンスクリット原典から日本語訳を果たした第一人者である著者が、宗教書にとどまらない「人間に寄り添う書物」としてその思想の本質に迫る~

法華経』は、紀元100年頃に釈尊の言葉を記したと言われている大乗仏教の経典で、誰でも成仏出来るという「平等思想」を説いている。

また、別世界にいる絶対者のような存在は認めず、あくまでも歴史上に実在した人物である釈尊自身の永遠性を説いている。

「あなたもブッダになれます。」「あなたは貴い存在です」と人々に訴え、失われた自己を回復させ“真の自己”に目覚めさせる経典である。

著者の仏教学者・植木雅俊さんの師である、中村元さんは、

「西洋の絶対者(=神)は人間から断絶しているが、仏教において絶対者(=仏)は人間の内に存し、人間そのものである。」と言われていて、これが仏教である。

また、仏教は個々の人間から一歩も離れることはない。

人間を原点に見すえて、人間を真の自己(人)と法に目覚めさせる人間主義である。

「人」は人格と肉体を備えた存在。「法」は普遍的真理、法則。

その「法」は誰にでも開かれているもの。

しかしその「法」は人間の生き方に活かされて初めて価値を生じる。

その法である普遍的真理と、真の自己に目覚めることが、仏教の目指したことであり、釈尊が遺言していたのもそのことだった。

人間を離れてブッダがあるのではなく、人間として完成された存在がブッダである。

法華経』がやろうとしているのは、あくまでも仏教が現実や人間から離れることを戒めること。

人間を見失うな。この現実世界を離れるな。別世界に絶対者を仮想するな。

そうしたメッセージを、あらゆる手段を使って一生懸命に伝えようとしているのだと思う。

 

「あなたを軽んじない」と言い続けた「常不軽菩薩」について、筆者の考えは、

この菩薩にも自己嫌悪の時代があったに違いない。

そうした時代を経て、あるとき自分の尊さに目覚めた。

だからこそ、他人の尊さも信じることができたのではないか。

「真の自己」に目覚めるがゆえに、自己の存在の重さ、愛しさが自覚できる。

それはそのまま他者の存在の重さ、愛しさを自覚することにも繋がっていく。

 

著者は、テレビのニュースなどで耳にする「誰でもいいから人を殺したかった」というような殺人犯の供述は、「自己の尊さ、自分が生きている価値に気づいていないからではないか。だから自暴自棄になってしまう。」と考えていて、この部分もなるほどと感じました。

人間の間の差別は言葉によるものであり、生まれによって人の差別が生じるのではない。その人の振る舞い、行為、生き方によって人の尊さ、卑しさが決まる。

私たちの周りには「言葉のみ」によって作られた価値観、思い込まされたこと、迷信、権威、祟り、脅し、恫喝、中傷、罰への不安がいかに多い事か。

そこにおいて釈尊は「あるがままに見る」ことを重視した。

この「あるがままに見る」とは、「如実知見」と漢訳されている。

あるがままに見ることによって、思いこまされたこと、決めつけられたことから開放されるのだ。人種的偏見も、この思い込みの一つである。

この、周りから「思いこまされたこと」や「言葉のみによって作られた価値観」など、私も知らず知らずのうちに植え付けられていることがよくあるように思いました。

ネットやメディアからの情報だけではなく、よく知らないうちから「あの人はこういう人だ。」と聞かされていても実際話してみるとそれとは違う印象を受けることが過去に度々あり、余計な先入観無しに「あるがままに見る」ってことが大切なのだと感じます。

また著者は、近年顕著になり始めた温暖化による気候変動も危惧しています。

温度上昇で水蒸気の量が増え、台風のエネルギーも強化された。

温暖化のツケは数十年ほど後に顕在化する。

それも取り返しのつかない状態になってから。

それらのツケは今の若い人たち、これから生まれてくる人たちに回される。

今、政治の世界で権威をふるい、利権を欲しいままにし、権力闘争に明け暮れているのは老人の政治家で、そのツケが顕著になる頃はこの世の人ではない。

温暖化への対応は、この十年が勝負の分かれ目だと言われている。

 

この地球温暖化問題をきっかけに、プラスチックゴミの一つであるレジ袋が有料化となりましたが、この部分を読んで思い出したのが、以前、知人が小学生たちに、レジ袋を持参しないで欲しいというその理由を話していた内容でした。

それは2年前、海岸に打ち上げられたクジラの胃袋から、40キロのマイクロプラスチックが発見され、その海洋ごみがクジラの死因だったという話で、これは小学生にとても分かりやすく納得しやすい話だったと思います。

それ以来私の頭の中でも、レジ袋=クジラの胃袋という具体的イメージが思い浮かぶので、ついついレジ袋を使いたくなってしまう自分への戒めにもなっています。

海に漂流するプラスチックが太陽光や水にさらされると、メタンガスなどの強力な温室効果ガスが発生されるんだそうですよね。

 

また著者の植木雅俊さんは、日蓮の『立正安国論』についても、

『立正国家論』で日蓮が叫んでいたのは、このような人類的危機を前にして、国家は責任ある政治を行うべきだという警告であり、ズルズルと破滅に向かうことを日蓮は危惧していた。

と、まるで現代の危機のために書かれたように思えると書かれていました。

 

本文の中で、

「仏教において絶対者(=仏)は人間の内に存し、人間そのものである。」という箇所や、「決めつけや思い込みを捨て、あるがままに見る」って言葉が特に心に残りました。

法華経』の解説だけではなく、著者の考えからその誠実なお人柄も伝わって来て、地球の環境問題も考えさせられる、読んで良かったと思える本でした。

☆ ☆ ☆

最後に、この記事とは全然関係ありませんが、秋の夜長に聴きたくなるような1曲を♪

 

youtu.be

 

イナラ・ジョージは、1974年生まれのアメリカ・メリーランド州出身のシンガーソングライター。このRelease Me は、母親の70歳の誕生日にプレゼントした曲だそうで、イナラ・ジョージが幼い頃に亡くなったミュージシャンだった父を思う、母の視点で書かれた曲だそうです。

 

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