つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

豆腐屋のミチコ

ミチコとは、小学2年から中学2年までの7年間クラスが一緒だった友達だ。

中学では毎年クラス替えがあったけど、小学2から6年まではなぜか一度もクラス替えが無かった。

もちろん嫌いな同級生もいたので、せめて2年毎くらいにクラス替えをして欲しかった。

担任教師は2年毎には替わったけれど、5・6年担任の男の先生は、「竹刀先生」というあだ名で、授業中答えを間違ったときなど、竹刀で叩かれるか、床の上に正座させられるかで嫌だったなー。

当時は体罰など当たり前の時代だったにしても、他のクラスの先生はそんなことはなかったので。

 

そのミチコとは確か小4の夏休みに、耳鼻科通いでよく一緒になったことがきっかけで親しくなった。ミチコは慢性中耳炎で通っていて、私は夏になると慢性鼻炎になった。

昔は花粉症という言葉など無かったけれど、きっと当時から少なからず花粉は飛んでいたに違いないと思っている。(因みに、杉花粉はキャリアが長いせいか楽になったけれど、今の時期はカモガヤがきつい💦)

でもそのおかげで、夏休み耳鼻科に通っている間だけは、苦手な学校のプールに行かなくても済んだ。

といっても、ずっと耳鼻科に通っていたわけでもないので、親から、今日こそ泳げるようになって来いと、夏休み嫌々行かされていたのも覚えている。

今思うと、そんなに嫌なら学校のプールへ行ったふりをして、公園の水道で水着と頭髪を濡らし、時間を潰して帰って来る悪知恵を働かせれば良かったのにと思う。

 

ミチコは、小学時代は太っていて貫禄ある女子だったので、私が男子にいじめられたときなど、その子をブンブン振り回してやっつけてくれるようなたくましい友達だった。

私は当時、クラスで前からいつも1、2番目の小ささで、おまけに今からは想像できないほど痩せていた。

同じクラスに「ガリック」と呼ばれていたガリガリ男子がいたけれど、私も「お前はガリック二代目」と男子に言われたことがある。

でも、顔だけは丸かったのでちょっとアンバランス?笑

そして今からは想像できないほど少食でもあったので、給食を食べるのも遅く、残した食パンはランドセルにそのまま入れて持ち帰り、中でガビガビになり親に怒られていたっけ。

そういえば高校時代、女子4人で放課後ラーメン屋に入り、一人が大盛を頼んで、ラーメンを運んできたおじさんが「大盛は誰かな~?」と見回し、私の前に置いたので頭に来たことがあったけど、それは顔が丸かったせいだと思っている。

でも高校の頃は、放課後ラーメンを食べたくなるほどの食欲があったんだなぁ。

 

話が脱線してしまったけど、そのミチコとは喧嘩したりで疎遠になった時期もあったけど、何となくいつも親しくしていた。

ミチコは、中学入学時からどんどんスリムになっていくと同時に、どんどん綺麗になっていった。

その頃から生活も派手になり、中3の頃はヤンキーっぽくなっていた。

中3でクラスは別になったのだけど、その夏休み前に、ミチコんちの知り合いの大学生が始めた学習塾へ一緒に通わないかと誘われた。

私も志望高校に合格するにははおぼつかない成績だったので、しばし一緒に通うことにした。家の親は勉強に関する習い事なら快く通わせてくれたっけ。

ある夜その学習塾から帰った後、ミチコの母が家に来て、ミチコがまだ帰って来ないと心配していたので、うちの母親と一緒に心当たりを探しに行ったことがある。

遅くにミチコは家に帰り、心配かけてごめんと連絡あったのだけど、ミチコのお母さんは心配して泣いていたので記憶に残っている。

 

そのミチコは、共学の私立高校に入学した。私は学習塾効果か、2学期の成績は伸びたものの、志望校には内申点が足りず、泣く泣くランクを下げて受験した高校に入学した。

高校生になってからあるとき、ミチコが家に訪ねて来て、ミチコの高校の友人達とのパーティーがあるのでそれに来ないかと誘われた。

その時のミチコは、アフロっぽい髪に眉が極細になっていて、益々ヤンキー度が増していた。

怪しいパーティーのような気がしたので断ったけれど、それ以来、ミチコに会ってないように思う。(当時書いていた日記にそれ以来名前が出てこなかったのもあり。)

高校時代、他の中学から来た子から、あなたの出身中学に○○ミチコっていたでしょ?と聞かれたことがあり、ミチコのやんちゃぶりは他校でも知っている子がいたんだと驚いたことがあった。

でも、その塾に通っていた中3の夏休みなど、朝一緒にマラソンもしていたので、自分から見たミチコの内面はさほど変わってないように思えた。

 

今から20年ほど前、中学時代の同窓会で久々にミチコと再会した。

その時のミチコは、以前よりもっと細く小さくなっていて、病気で胃を全摘した後らしかった。

姉御っぽい雰囲気はそのままだったけれど。

その時色々話し、最後にミチコが私にポツリと言った一言が今でも忘れられない。

「自分がグレなかったら、○○(私)とはずっと友達でいられたんだろうなぁ。」と。

その時、どう答えたのかは忘れてしまったけど、ミチコは少なからず私と友達でいたかったと思ってくれていたんだと分かり、嬉しかったのと同時に心が少し痛んだ。

そんなことはない。私は高校時代、他のクラスのヤンキーっぽい女子とも気が合い親しく話してたよ。

そういえばその中の一人、ミッチェルというあだ名の子もミチコという名だった。

ミチコでミッチェル...かっこいいな。

 

 

同窓会は今でも地元に住んでいる同窓生中心に行われているようだけど、私はもう何年も参加していない。

ミチコ、今でも元気でいるといいなぁ。

豆腐屋だったミチコの実家は、子供のころよく遊びに行くと、小学時代のミチコそっくりな太ったおばさんが、いつも店先にいて温かく迎えてくれたっけ。

店内に漂っていた、大好きな大豆の匂いとともに思い出す。

 

でも、当時うちが贔屓にしていた豆腐屋さんはもっと近所にあり、ミチコの店では申し訳程度に買っていた程度だった。

今、記憶の中のミチコがズッコケたような気がした。笑

 

 

(今年も先月末に、庭のミニ薔薇が綺麗に咲きました。)

 

余談だけど、懐かしくなって当時の日記をパラパラ見返していたら、昔、新宿西口には「パレス座」という名画座があり、高校当時、友達と観に行ったビートルズ3本立て映画に、「イエロー・サブマリン」が入っていたのはちょっと意外だった。当時ビートルズ映画3本立てというと、『ビートルズがやって来る ヤァヤァヤァ!』『HELP!』『Let It Be』だったと記憶していたので。

それに、料金が150円と書いてあったけれど、ほんまかいな⁈( ̄▽ ̄;)

1本に換算すると150円ほどだったってことかな。それとも学割でそんなに安かったのかも知れない。