来週12日月曜と翌週の、2週続けてのビートルズ特集が、NHKの『映像の世紀バタフライエフェクト』で放送されるようですね。
私は今週、ロイズキャッツというバンドのメンバーからのLINEで、この情報を知ったのですが、もう何方かブログに書かれているかな?と思ったら、あい青子さんとsmokyさんが、ちょうど今日のブログに書かれていましたね♪ ↓
「映像の世紀」ビートルズの特集「ヤング・ミュージック・ショー」ロックの映像(NHK) - あい青子「大好きだった曲」と「手離し服」で幸せを感じる「認知症の予防と介護」 (aiaoko.com)
NHK総合テレビ「映像の世紀」で、2週連続ビートルズ特集をやりますよ!(あい青子さんのブログ情報の拡散です)。 - かぶとむし日記 (hatenablog.com)
ビートルズベスト盤にちなんで「赤の時代 1962〜1966」と「青の時代1967〜1970」の2つの時代に分けて描くそうで、楽しみですね!
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さて、最近の「読み聞かせ」で読んだ、絵本の紹介です。
先日、小学校の低学年で、こちらの絵本を読みました。
『たこきちとおぼうさん』(工藤ノリコ・作)
色々な国を旅していたおぼうさんは、タコの国へとやって来ます。
良い眺めを絵に描こうと思ったら、墨がありません。
すると、どこからか小さなタコであるたこきちが現れ、自分の墨を「ちゅっ」とはきます。
お坊さんがその墨で描いた絵は、たちまち目の前に飛び出します。
そのたこきちの墨で絵を描くと、絵は目の前に現実化し、でも時間が経つと直ぐに消えてしまう不思議な墨だったのです。
「私を助けて下さい。」と、急に泣き出すたこきち。
その話を聞くと、悪い大ダコが、たくさんの仲間を食べてしまい、たこきちのおっかさんと兄弟たちをさらっていってしまったのだそう。
早速、たこきちの家族を助けるたけに、お坊さんは船の絵を描き、二人で悪い大ダコの島へ向かいます。
そこから冒険活劇のような展開になり、悪い大ダコの目をそらすために、宝の箱を描いて投げつけたりなど、お坊さんは次々に絵を描き、皆と逃げながら大だこと戦います。危ういところで、最後に観音様の絵を描き、その観音様の光の威力で、悪い大ダコは小さなイイダコに…
無事に帰り着いた浜辺で、お坊さんにお礼を言う、たこきちとおっかさん。
たこきちは、旅を続けるお坊さんの弟子にして下さいと申し出て、観音様のおかげで改心したというイイダコと共に、二匹を連れて旅を続けるお坊さん。というお話。
たこきちが言葉の最後につける「どうしてなのかわかりませんが。」という台詞や、お坊さんの、「いざ、まいろう、たこじまへ」など、面白い台詞回しや、リズミカルな文章が、読んでいてもとても楽しい絵本で、ついつい、お坊さんやたこきちになり切って読んでしまいました。
お坊さんとたこきちのほんわかした顔が、どことなく似ているのも面白いです。
次に、お坊さん一行がたどり着く場所は、あなたの住む町かも知れませんよ。笑
それから、先月の図書館での読み聞かせは、幼児向けのこちらの絵本を読みました。
『だいこんとにんじんとごぼう』(再話/ 絵・つるたようこ)
昔、大根とにんじんとごぼうは、みんな色が白かったんですと。
なぜ、にんじんは赤くごぼうは黒くなったのかいな?…というお話。
民話『だいこんとにんじんとごぼう』のお話の、再話だそうです。
ある日、三人で山登りをします。
頂上にたどり着いたときは、皆くたびれ果て、もう一歩も歩けず泣き出してしまいます。
そこに通りかかった炭焼きのおじさん。
三人は、一緒に山から連れ帰って欲しいと頼むのですが、三人一度にはおぶえないからと、おじさんは大根だけおぶって帰ります。
残されたにんじんは、怒って真っ赤になり、同じく怒ったごぼうは、地べたにひっくり返ったため、日に焼けて真っ黒になってしまったというお話。
この三人の顔の表情も、何ともユニークで味があり、可笑しさがこみ上げてきます。
ページのラストの絵では、皆でお風呂に入り、だいこんがごぼうを洗ってあげてたり、何とも微笑ましいです。
それにしても、炭焼きのおじさんは、なぜ一番重たい大根だけ背負って帰ったのでしょうか?体が重くて、一番体力なさそうに思ったからかなぁ。
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ところで、もう一つ関わっているボランティアの「日本語教室」で、4年前の道徳の教科書に、今NHKで放送されている連ドラ『らんまん』の主人公である、牧野富太郎を紹介する話が載っていたので、オッ!と思いました。
いつも担当しているアメリカ人女性の息子さんが、小5のときに使っていた道徳の教科書で、最近はこの教科書持参で日本語の勉強をされています。
「日本の植物の父」といわれている、植物学者である牧野富太郎。
この教科書には、世界的な学者になってからも、よく外に出て、多くの人に植物のことを教え、どんな人のどんな質問にも、ニコニコと丁寧に答えていたとあり、その人柄が偲ばれます。
1957年に94歳の命を終えてからは、練馬にあった住まいが「牧野記念庭園」になり、その翌年には、富太郎氏が生まれた高知県に、「高知県立牧野植物園」が開かれたそうですね。
(空は曇ってますが、近所の紫陽花が綺麗でした。)