つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

『うつくしが丘の不幸の家』(町田そのこ・著)

物語の舞台は、海が見下ろせる新興住宅地にある一軒家。

各章ごとに時間を遡って、そこに住むそれぞれの家族たちが描かれている、連作短編集。

その家の住人が、様々な事情によって、僅かな年数で引っ越してしまったことにより、近所では「不幸の家」と呼ぶ人もいるということで、決してそうではないことが最初の話からわかって来る。

どの話にも、その家の隣人である、高齢で一人住まいの荒木信子が登場して、主人公たちを勇気づけ、背中を押してくれる場面が印象的であり、特に最初の話での信子の言葉が心に残った。

その第一章「終わりの家」は、築25年のこの家を購入して改装し、理容師の夫とともに「髪工房つむぐ」をオープンさせる美容師の美保理が主人公。

近所の人から、ここは「不幸の家」だと言われてショックを受けている美保理に、それを知った隣人の信子は怒ってこう話す。

「誰にどんな事情があるのか。どんな理由でそうしたのか、そんなことは簡単に分かるものじゃないのよ。

自分がまずはたくさん経験すること、そして何度となく想像を巡らすことでようやく、真実の近くまでたどり着くことができるの。それを怠っている人に、そういう適当なことを吹聴されたくないわ。」

という、この言葉一つ一つに深く頷いてしまった。

本当に。人の事情は簡単にわかるものではない。つい憶測で物事を判断しちゃったり。

読書や映画などで、様々な人生を見聞きすることによっても、想像力は鍛えられるのだろうけど、当事者になってみて初めて分かることが多いことを、この作品全体を通しても感じた。

主人公たちの台詞やその思いによって、自分なんかも初めて気づくことが多々あって。

後半明らかになる、信子自身の隠された苦悩も然りで。

 

特にそう感じた第四章「夢喰いの家」で、自分が原因で妊活が上手くいかず苦悩する主人公の忠清が、信子の息子と初めて話したことがきっかけで、胸の内をさらけ出せる場面には胸が熱くなった。

「人と人の繋がりは一本の糸ではなく、色々な縁が交差して絡み合って、独自の模様を作りながら太くなっていく。」という信子の言葉も心に響いた。

縦軸の自分の人生に、横軸での色々な縁(人だけではなく)が交差して、自分自身が出来上がっていくのだと、以前も何かで読んだことがあるけれど。

 

最終話・第五章「しあわせの家」で、この家の庭にずっと植えられていた枇杷の木に関連して、第一章の登場人物と繋がっていく部分も心温まる素敵な場面で、晴れやかな気分になれる読後感だった。

最初の話で、不吉な木だと夫に言われ、その枇杷の木を切ろうとしていた美保理に対し、信子が枇杷の木の効能について教えていた部分で、その効能を私も初めて知った。枇杷の木って凄いんだな。

作品中の台詞に出て来たように、家はただの入れ物であり、家が人を幸福にしてくれるわけでもなく、幸せかどうかを決めるのは自分なのだということを、改めて感じさせられた物語だった。

 

でも、家はただの入れ物であっても、そこには様々な想い出が染みついているものだと思う。

私が家を出るまで住んでいた実家は、両親がその後近くに引っ越した際、実家の隣に住んでいた叔母が買い取ってくれて、ときどき借家にしていたようだ。

その叔母も昨年亡くなってしまったので、その叔母の家と共に私の古い実家も、きっとそのうち取り壊されるのだろうと思う。

もうかなりオンボロだけど、生まれ育った家なので、両親が生前移り住んだ家より、色々な想い出が詰まっているので寂しく感じる。

 

寂しいといえば、ドラム練習で利用しているスタジオが入っている楽器店が、先月末で閉店してしまったのを、つい先日個人練習に行ったときに知り、同じく寂しく残念に思った。スタジオはそのまま利用できるようだけど。

昨今は、楽器類は通販などで購入する人の方が多いのだろうし、コロナの影響もあって、店を維持していくのは大変だろうなとは感じていたけれど。

私も楽器店の方は、主にスティックを時々購入する程度だったけど、ドラムを始めた時に通ったドラムスクールがこのお店だったこともあり、近隣で長く続いていた楽器店が無くなってしまうのは本当に残念。

 

…っと、つい残念なことを並べて書いてしまったけど、先週地元の桜が散ったことも残念ではあったけど、今年は長く楽しめたし、散った後の花びらの絨毯も綺麗だった。🌸