つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

映画『川っぺりムコリッタ』

昨年秋に公開され、気になっていたこちらの作品。半年遅れで安く上映される、沿線のホールでの「名作劇場」で先週やったので観に行ってきた。

本作は、かもめ食堂』『めがね』などの荻上直子監督によるオリジナル脚本作品。

そういえば、同じ監督の『彼らが本気で編むときは、』も、やはりこちらの名作劇場で観たのだった。

大好きな映画『かもめ食堂』は、地元駅前にまだ映画館があった頃、そこで観た作品だったな。

この名作劇場は、今月で460回目だそうだで、前回観たのは『ミナリ』。

こちらで初めて観たのは、ジョニー・デップ主演作『ギルバート・グレイプ』だったような気がする。この映画は公開時に観に行って、二回目は当時の仕事仲間たちと、この名作劇場に観に来たのが懐かしい。

5月は『土を喰らう十二か月』なので、それも観に行きたいなぁと…。

最近どこも混んできたけれど、このホール内も前回よりとても賑わっていた。

普段映画館には足を運ばないような、近隣の中高年の方々が多いような気がする。

だからか、普通の映画館と違い、上映中の笑い声や、画面に反応して小さく発する声などが、昔の名画座みたいな雰囲気であり、私にはほのぼの温かく感じられる点が好きなのだ。

と、前置きが長くなったけど、

今回観た作品『川っぺりムコリッタ』

ひとりぼっちだった世界で、生と死の狭間を明るく生きる人たちと出会い、孤独だった人間が、孤独ではなくなっていく「ささやかなシアワセ」の瞬間をユーモアいっぱいに描き、誰かとご飯を食べたくなるハッピームービー。

名作劇場チラシより)

タイトルの「ムコリッタ(牟呼栗多)」とは、仏教の時間の単位のひとつ(1/30日=48分)を表す仏教用語で、ささやかな幸せを意味するのだそう。

荻上監督によると、生と死の間にある時間を、このムコリッタという仏教の時間の単位にあてはめてみたそうだ。

 

主演は、孤独な青年・山田を演ずる松山ケンイチ

後ろめたい過去があり、人と関わらずひっそりと生きたいと思っていた山田は、北陸の町にある小さな塩辛工場で働き始め、そこの社長(緒形直人)から紹介された古い安アパート「ハイツ・ムコリッタ」で暮らし始める。

そのアパートの隣人・島田ムロツヨシ)、大家の南(満島ひかり)、墓石を売る溝口親子(吉岡秀隆)など、癖のある住人たちと関わっていくことで、ささやかな幸せを感じ始めるというストーリー。

その住人誰もが身近な人を亡くした喪失感を抱えていて、ギリギリなところで生活をしている。

主人公・山田の隣人である島田が、汗みどろでいきなり訪ねてきて、お風呂を貸して欲しいとずけずけした態度の場面は、ちょっと引いてしまったけど、暑い部屋で倒れたように横になっている山田に、家庭菜園で採れたトマトやキュウリを「死なないでくれよ」と差し入れたり、山田も島田に徐々に親しみを感じ始める。

食事の時間になると山田の家に転がり込み、山田が塩辛工場でもらった塩辛と、島田の自家製漬物で、炊き立てのほかほかご飯を二人でほおばるシーンも、何とも美味しそうで、観ていると、ご飯が無性に食べたくなってくる作品でもあった。

かもめ食堂』でも、おにぎりなど食べるシーンがとても美味しそうだったのが印象的だったけれど、山田が初めてもらったお給料でお米を買い、炊飯窯で炊き立てご飯の匂いを嗅ぐシーンも、見るからに幸せそうだった。

 

珍しく高額な墓石が売れ、家賃を滞納しているのに、高級牛肉ですき焼きを食べ始める溝口親子の家に、その匂いに誘われ、島田、山田、大家の南親子も次々に押しかけ、溝口が慌てる中、皆で鍋を囲むシーンも、可笑しくほのぼのとしていて良かった。

この予告編にもあるように、島田の「ささやかな幸せを細かく見つけていけば、なんとか持ち堪えられる。」という台詞が一番心に残った。

この島田自身も、喪失感やそのトラウマに苦しんでいることが徐々に分かって来た。

島田の友達で、家庭菜園仲間でもあるお寺の住職も、飄々としたとぼけた感じが良かったな。友達思いでもあって。

他、脇役の俳優陣それぞれ味があり心に残った。

山田が小さい頃に生き別れた、「ろくでもない父」が亡くなったとの知らせが届き、丁寧な応対ぶりの市役所・福祉課の職員を柄本佑

塩辛工場での先輩役を演じていた江口のりこは、帽子とマスク姿で目だけしか見えないので、クレジットに江口のりこって名が無かったら気づかなかったかも。

薬師丸ひろ子は、「命の電話」での声だけの出演だったけど、ほんわか温かい感じが良かった。

大家・南が乗り合わせたタクシーでの、その運転手を演じていた笹野高史も、元は花火師だったので、亡くなった妻の遺骨を粉にして、打ち上げ花火で弔ったと明るく話していたのも心に残った。

弔い方は人それぞれなのだということを、この作品での登場人物を観ていて感じた。

その思いが一層強くなったラストシーンの美しさは、特にジーンと来た。

ロケ地が富山だったそうで、夕陽の中、雄大なその自然美を背景に、山田の亡くなった父を皆で弔う場面。

悲壮感はなく、どことなくコミカルでもあり、このハイツムコリッタの住人たちの温かい関係も、そこはかとなく滲み出ていて、いい映画を観たなぁという感慨に浸れた。

流れる音楽もほんわかしていて。

 

ファンタジーっぽさも所々感じられ、空に浮かんだあの巨大イカ(顔は宇宙人)みたいなのは、いったい何だったのだろうか?^^;

川べりで、溝口の息子が吹くピアニカに合わせて、ホームレスの人がギターを弾くシーンも良かったな。

主人公の山田を演じていた松山ケンイチは、今まで特に気に留めてはいなかったけど、最近まで観ていたドラマ『100万回言えばよかった』で、人の良い刑事役に好感を持っていたので、この映画でも注目して観ていたけど、また違ったこの役柄もぴったりだと思った。

 

島田の台詞にもあったように、美味しいものを美味しいと感じられたり、それを誰かと一緒に食べたり、日常のささやかな幸せを見つけていくことが、生きていく上で大切との思いを改めて感じさせられた作品だった。

今までの日常と違ってしまったコロナ禍からは、それまで当たり前だと思っていたことに、ささやかな幸せを感じられる機会が増えて来たけれど。マスクを外しての深呼吸もその一つで。

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うちの近所の川っぺりも、晴れた昨日、桜が綺麗になって来ていました。