寺地はるなさんの作品は、連作短編集が多いけれど、この作品はそれぞれ独立した7編からなる短編集だった。
作品の多くの主人公たちは、孤独感や生きづらさを抱えている。でも、ふとしたことで心が軽くなるきっかけが訪れる。
中でも私は、『コードネームは保留』『タイムマシンに乗れないぼくたち』『深く息を吸って、』が心に残った。
コードネームは保留
主人公は、楽器店に勤務している20代の南優香。
小学生の頃は「宇宙人」、今現在は「殺し屋」と自分自身を設定し、周囲と馴染めない毎日を、どうにかやり過ごしている。
クールな「殺し屋」という設定ならば、普段の人間関係の煩わしさなど、どうでもいいことのように思えてくるのだ。
優香はその「設定」のことを、新しく入社してきた軽やかな性格の藤野すばるに、つい話してしまう。
すると藤野は驚きもせず、「それは蘇生術ですよね。」と言う。
藤野も、仕事に行きたくないときは、「会社員」の役を演じているつもりで出勤しているのだそうで、そんな優香を面白い人といってくれる藤野。
私にもあるある。
以前も何かの記事に書いたけれど、中学時代から学校に行きたくない日は、気分だけは好きな映画の主人公になり切って、一日をやり過ごしていた。
それは結構効果があり、普段より明るい気分で過ごせたように思う。
役を演じるというのは、少し前に観たローリング・ストーンズの映画、『チャーリー・イズ・マイ・ダーリン』でのミック・ジャガーも、「ステージではいつも演じている。」と言っていたけど、アーティストだけではなく、きっと誰でも、自分の役割を演じている部分があるんだろうな。
以前、偶然私のブログを見つけたと言っていた音楽仲間から、ライブハウスで会っているときの印象と違い、真面目なことを書いていてびっくりしたと言われたことがある。
それは演じているのではなく、どちらも本当の私だと自分では思っているけれど、少しは演じているのかな?
ブログは人目があるので、本音はなかなか書きづらく、つい差し障りのないことを書いたりしているかも知れない。
優香は、自分以外の人は皆輝いているように見えるけれど、ある時、それは相手も同じだったことを知る。
「ひとりは寂しいものではなく、かっこいいものでもなく、ただの一人だ。」
そのひとりの時間を、やり過ごしたりごまかしたりするんじゃなくて、存分に慈しむのも悪くないかも知れない…との思いに至る。
小学生時代の優香のように、不可解な地球人たちを調査する宇宙人の設定にしてみるのって、面白そうだ。BOSSのCMでの、トミー・リー・ジョーンズみたいで。
地球人から理不尽なことを言われた場合など、腹立たしい気分が少し緩和されると思う。宇宙人としては。笑
そういう設定として過ごすことは、「ライフハック」と言われているそうだ。
「ライフハック」とは、暮らしの質やビジネスの効率アップに役立つ、簡単なアイデアやテクニックを総称する言葉だとか。
タイムマシンに乗れないぼくたち
クラスで居場所のない小学6年生の草児は、放課後いつも博物館へ行くのが日課で、そこが唯一心が休まる場所。
両親が離婚後、新しい街に引っ越してきて、母・祖母と3人で暮らしている。
離れて暮らしている父からの手紙は届かず、自分もまだ書けないでいる。
ある日その博物館で、やはり一人で来ている30代の男性と出会う。
博物館の休館日にまた出会い、公園でお菓子を一緒に食べているとき、草児はふいに涙が止まらなくなってしまう。
何故泣いているのか自分でも分からないが、様々な理由が脳裏をよぎる。
その男性は、困惑するでもなく、慰めるわけでもなくただ、「いろいろ、あるよね。」と一言だけいう。
泣いている理由を問うわけでもなく、ただそばで寄り添ってくれるような、こういう第三者的な大人に出会えることって、子供にとって得難いことのように感じた。
そこで、タイムマシンがあれば、草児が大好きな恐竜の時代にも行けるという話になる。草児の中で、太古の海で様々な生き物に出会う想像が広がる。
でも、戻って来られるのか、草児は不安になる。
「大事な人がいるんだね。俺もだよ。でも大事な人って、たまにやっかいだよね。」と男性はいう。
「やっかいで、だいじ。」
「いろいろある」世界から逃げ出したくなるとき、その命綱みたいな、厄介だけど、大事な人。
なんだかとてもよく分かる。
その後草児は、得意な恐竜時代の話で、仲が良い友達もできる場面でほっとした。
深く息を吸って、
中学生のある女生徒「きみ」に向けて、著者からの手紙のように綴られている。
「きみ」は、学校でもなるべく息をしないように生活している。
成績も悪く、顔のことで母や姉からいつもからかわれている。
家族への父親からの暴言や脅かしは、完全なる暴力なのに、「いえ」という小さな王国に住んでいるきみは、それを知らない。
暮らしている小さな町も、個性とか多様性などという言葉は存在しない。
そんな閉塞感いっぱいの毎日に風穴が開き始めたのは、少年たちが主人公の、ある映画に登場している彼を見つけてから。
(その映画のタイトルは登場しなかったけど、『スタンド・バイ・ミー』であり、憧れの「彼」とは、川という意味の名という部分から、リヴァー・フェニックスだとわかった。)
その日から、きみの世界が変わった。
「世界」は今いる場所だけではないのだと初めて知った。
ある日、映画のチラシを挟んだ下敷きを、意地悪い女子たちに奪われる。
いつもだったら笑ってごまかすのだけど、映画の中の彼だったら、可笑しくないときには笑わないだろう。
自分を取り囲んでいる彼女たちに向かって毅然と大きな声で、「それ、返して」と言えた。
大きく息を吐く。吐く息が大きいと吸う息も大きくなる。
教室でいつも息をひそめていたきみは、初めてそのことに気が付く。
子供の頃は、家や学校が世界の全てであり、そこから逃げ出すことなんて、想像の世界でしか出来ないと思っている。
でも辛い状況でも、この主人公たちのように、どうにか自分なりの蘇生術を身に着けて、生きていって欲しいと願う。
生きていればいつか必ず、夢中になれるものや新しい世界が次々に広がり、生きていて良かったと思えるときがくる。
著者の今回の作品も、幸せは一種類ではなく人それぞれであり、周囲の普通に臆することなく、本来の自分自身を生きることが大切。というような思いが伝わってきた。
『深く息を吸って、』でのラストの言葉は、この主人公を通して、著者は生きづらさを抱えている、全ての子供や大人たちに向けて言っているよな気がした。
だからそう、今みたいに顔を上げて。
深く息を吸って、ゆっくり吐いて。
きみはきっと、だいじょうぶ。
寺地はるなさんの作品は、ほかに『大人は泣かないと思っていた』『水を縫う』『やわらかい砂の上』『ビオレタ』『わたしの良い子』『ガラスの海を渡る舟』『雨夜の星たち』等々読みましたが、一番心残っているのは、『夜が暗いとは限らない』かも知れません。