「孤独」のテーマでも多くの書籍を出している齋藤孝さん。
図書館の新着図書にあったので、リクエストして読んでみました。
あとがきに、読者に向けて、本書で得た知識を周囲の悩める方々にシェアして欲しいとあり、自分でも共感出来る部分多々だったので、覚えておきたい箇所中心に書き留めておきます。
第1章 孤独の正体とはなにか
・孤独とは、人が自らを成長させるために、絶対に必要な時間。
・今のこの現代ほど、孤独にまつわる勘違いがはびこっている時代はない。
・「孤独感」は気分であるから、あると思えばある。ないと思えばない。
そこをしっかり認識するだけで、ずいぶんと心持ちが違ってくる。
・「孤独」を「単独」と言い換える。
・「淡く浅い交わり」を基本とすれば、孤独感に悩まされることは少なくなる。
・孤独感は、「教養の力」「知性の力」で払拭せよ。
「孤独」と「孤独感」は違うもので、「孤独感」は気分であるから、そこをしっかり認識することで気分も違ってくるという部分。なるほどな~と思いました。
自分自身とじっくり向き合える、単独の時間は絶対に必要だという部分にも納得でした。
第2章 親友はいらない
・友達付き合いでも、1・2か月に一度会う程度が長続きする。
・友達関係は、会う頻度より「緩やかに繋がっている」ことが大事。
・ドライな人間関係が心地よい。
・「推し」のいる人生は素晴らしい。
・「私は周囲の人に貢献できる」と思い込むと、「共同体感覚」が育成される。
ただし、自分への評価や見返りは求めない。
・承認要求が満たされないなど、”SNS病“の症状を和らげるのには、自己肯定感を自分で高める。他者ではなく自分に期待する。
・謙虚も過ぎれば毒である。
必要以上に自分を卑下したりメンタルが弱いことに対して、理解を求めたりするのは、大人としてマナー違反。「私は私を承認する。以上!」の心持ちでOK。
・コンプレックスがあっても頑張る。その姿が周囲に勇気を与える。
・「社会から切り離された孤独感」には早期対処を。
気分の問題でなく、「構造的な孤独」に対しては、自分自身を助ける方策を講じる。
・「書く」ことは孤独解消の特効薬。
心のモヤモヤは書いて晴らす。
例えば、職場でハラスメントを受けていた場合、「記録をつけよう」と書くことから始めると、ハラスメントの事実を文字に残すことで頭がすっきりし、「泣き寝入りせずに訴えよう。」という行動を起こすことが出来るかもしれない。
第3章「本」こそが孤独の最高の解決策である
・本を読んでいる時は、単独の時間でありながら、実は本の著者や登場人物など誰かとつながっている。これぞ読書の醍醐味である。
著者自身も、「自分が読書によって身につけた強い自己肯定感を、教え子たちと分かち合おうという気持ちを込めて授業をしている。」のだそうです。
本を読んでいると確かに、一人の時間でありながら、著者や登場人物と繋がっている感覚は大いにあります。
そして、たくさん本を読んだり映画を見たりすることによって、他者への想像力や共感力がついてくるので、それはとても大事なことだと思うのですが…
共感力は大切でも、先日読んだ『雨夜の星たち』という小説で、「(他者に対して)必要以上の感傷はかえって重荷になる。」との言葉に、それも最もだと心に残りました。
暗いニュースに接して、必要以上に感傷的になってしまうと心が重くなるので。
・仏教は孤独を重んじる。
日本人にとって一番身近な宗教である仏教は、「一人で生きていく」ことを基本としている。
・「人は一人でいる時間だけ自由でいられる。」(ドイツの哲学者ショーペンハウアーの言葉)
・物事は反対側から見る。
一人は寂しいけれど、時間を自由に使える。など。
第4章 孤独感がなくなるさまざまな方法
・孤独の鬱屈を運動で解消する。
巣ごもり生活が続くと、体内のエネルギー循環が悪くなる。
・人には決して見せない日記のすすめ。
・「スマホ脳」は、心身にさまざまな悪影響を及ぼす。
・寂しいときに聞く定番曲やサブスクを利用する。
第5章 青年期、壮年期、中高年、老年の孤独
大学新入生へのアドバイス
サークルはなるべく多く所属してみる。
同じ授業を受けている人たちとLINEで緩くつながっておく。
人間関係の得意な人と仲良くしておくと、情報が色々入ってくる。
友達未満の関係でちょうどよい。
困ったら先生に相談する。
「孤独感オーラ」は、詐欺や悪質な宗教の勧誘を引き寄せるので注意。
著者も、慣れない大学生活などでずっと孤独感を抱えていた時期が長かった経験上、行きつけのお店のおばさんでも誰でも、「一日3人と雑談してみよう。」と語っています。
「老年期の孤独」について
・人生の解放期到来。何でもない日常に幸福を見出す。
・「孤独死とは、死に方の問題である」と捉える。
死後何日も発見されないという死に方を避けることがポイント。
☆その具体的方法とは…
家族や知り合いと、朝起きたらLINEスタンプだけでも送る習慣を。電話ならワン切り。
新聞・牛乳・食材など毎日届く定期便を利用する。
週数日のデイケアサービスを受ける。
いずれにせよ孤独死で心配なのは、一人で死ぬことではなく、生きていることを何らかの形で知らせる手段を講じていないこと。
この考えにも全く同感で、例え自分でも誰でも一人で亡くなった場合、それが不幸だったかどうかなんて、その胸の内は他人には分からないのでは。
と、以前も何かのブログに書いたように思いますが、この章を読んで、早く発見される手立ては改めて大切だと感じました。
因みに、一人暮らしをしていた認知症だった母は、私たち子供やヘルパーさんがいない時間の万が一のために、アルソックを契約していました。
人感センサーで室内の動きをキャッチする、見守りサービスです。
第2章での友達付き合いについても、会う頻度より、緩く繋がっているのが大切という部分にも深くうなずいてしまいました。
学生時代の友達とも、たまにしか会わないから長く続いているのだと感じます。
人間生まれるときも死ぬときも一人。孤独感は、周囲の人と比較することで生まれてしまうように思います。一人でいるときより、大勢でいるときの方が疎外感を感じやすいと聞きますし。
ちなみに、著者は犬を飼っているそうです。癒されるだろうなぁ…
(以上、返却前に覚え書きとしてざっと書き留めておいたので、各章ごとの内容部分に、若干、入れ違いがあるかもです。)
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以下は、先週末旅行に行った信州・蓼科高原の写真です。
車山
八島湿原
蓼科大滝(マイナスイオンがいっぱいでした。)
御射鹿池
東山魁夷画伯の「緑響く」のモデルになったといわれている池で、CMで使われ有名になったようです。その神秘的な池の色や雰囲気に魅せられました。
泊まったホテル近くの、小津安二郎監督が別荘にしていた「無藝荘」にも寄ってみました。
無藝荘は、昭和の日本映画の巨匠で今も世界的に名高い小津安二郎監督が、別荘として使用し、「東京暮色」以降の脚本の執筆や映画関係者と交流した建物です。
小津監督は、小津作品のシナリオを数多く執筆した脚本家の野田高梧(こうご)さんに誘われて訪れた蓼科を気に入り、1956年にこの建物を借りて「無藝荘」と命名し、年中仕事場として滞在するようになりました。
無藝荘の建物は、茅葺き(かやぶき)の屋根で、本格的な囲炉裏があり、純和風の建物で、当時の暮らしを知ることもできます。地元の方々が交代で「火代番(ひじろばん)」として管理していて、小津監督の蓼科でのエピソードを話してもらえるのも魅力です。
写真の小津監督と同じ位置から撮ってみました。囲炉裏の前に座っている人が地元・火代番の方で、当時の小津監督の暮らしについて説明して下さいました。
その説明によると、小津監督はこの無藝荘では、お酒を飲んだりゴロゴロ昼寝をしていることが多く、それにやきもきした映画会社の人たちからの催促が多かったとのこと。
蓼科は、昔から居酒屋などの歓楽街が無かったので、訪問客と、この囲炉裏で作った鍋などをつつきながらお酒を酌み交わし、ここでの語らいが何よりの楽しみだったようです。
玄関入って左側には、台所と広い風呂場があり、囲炉裏部屋の奥の部屋のテレビには、小津安二郎監督作品が映っていました。
「会い度い 会い度い もう一度 中学生になりたいなあ」(小津安二郎)