つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

最近読んだ『月夜の森の梟』『明日へつながる5つの物語』と、橋の上からの写真。

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『月夜の森の梟』(小池真理子・著)

朝日新聞で毎週連載されていたエッセイ。先月書籍となり発売されたので、早速図書館でリクエストをして読んでみた。

うちは朝日と他紙の新聞を交互にとっているため、未読の回もあり、是非全文通して読んでみたいと思った。

 

37年間連れ添った、夫であり作家の藤田宜永さんを昨年1月肺がんで喪い、住まいの軽井沢の森の中で、藤田さんへの追想とその喪失に向き合う日々が描かれている。

 

日々刻々、森は変化していく。季節は流れる。その日その時の風景、そして自分の気持ちを、二度と巡ってこない瞬間として捉えたかった。

小池真理子さんの小説は好きで、エッセイも含め過去色々読んだことがある。

読みやすく、心にスッと入って来るその文体自体が好みでもあり。

夫である藤田さんのエピソードや、どんなご夫婦だったのかということも、そこから伺い知ることができた。

 

夫婦愛、相性の良し悪しとは無関係。私たちは互いが互いの「かたわれ」だった。

半身となって残されてしまった。

と、その慟哭や喪失感が、静かな語り口で伝わって来て心にしみた。

自分の半身をもぎとられたような感覚と思えるほどの相手とは、もうそれは心というより、魂と魂の結びつきのようであり、読み終えて、二人の間には、死を超えた何かが共有されているようにも感じた。

 

特に心に残った章は「受難と情熱」

「受難」という日本語は、英語に直すと「パッション=情熱」になる。

人生における受難というのは、裏を返せば情熱の限りを尽くしたことと同じなのではないか。

熱情は時に深い苦悩に姿を変える。逆もまた同じである。

受難と情熱は異質のもののようでありながら、実は根っこのところで分かちがたく結びついているのだ。

喪失の悲嘆や狂おしい絶望もまた、烈しいパッションに他ならない。

遺された者の苦悩は、おそらく自分では気づかぬ生命の力と背中合わせになっている。

この章を読んで、夫婦という関係というよりも、作家同士、個人と個人、意見を戦わせ、笑い合い、時にはののしり合い、語り尽くし、情熱の限りを尽くした相手だったからこそ、この考えに至ったのだろうと感じた。

真理子さんの胸の内でも、その苦悩が徐々に生命力となって、元気になられていったらいいなと思う。

2匹の飼い猫からも、藤田さん亡き後もたくさん癒され、慰めになっている様子が伺われた。

またこの連載を通して、喪失の哀しみを真に共有し合える大勢の読者と繋がることが出来たそうだ。

そして作家だと、より、書くことによって哀しみを幾分か昇華できたり、気持ちの整理ができるのではないかと思う。

「死は全て個別のものだ。喪失からの哀しみから立ち直るための理想的な唯一絶対の方法など存在しない。」と書かれてはいたけれど。

 

またこの「受難と情熱」の章を読んで思い出したのは、昔『世界の中心で愛を叫ぶ』を読んだ後、著者である片山恭一さんが、大切な人を亡くす喪失感について、記事に書かれていたことだ。

片山さんが当時通っていた整体師(?)との会話の中で、

「その喪失感が、大きければ大きいほどその人への愛が深かったということだから、それだけ親密な濃い時間を共有できたことの裏返しである。」という話。

(もう20年以上前に目にしたので不確かもですが。)

だから、真理子さんも藤田さんも、それほどの相手とこの世で巡り逢えたってこと自体は、とても幸せなことだったと思う。

このエッセイから真理子さんに対する藤田さんの深い愛情も垣間見られたので。

そして、亡くなって目には見えなくなっても、愛する人(またはペット)は、きっとそばでずっと見守ってくれているように思う。

 

☆ ☆ ☆

 

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『明日へつながる5つの物語』(あさのあつこ・著)

5つの短篇、どれも爽やかな読後感だった。

まさにタイトル通り、主人公たちと同じく、読んだ私達皆の明日へ繋がる、前向きになれる作品集。サラサラと直ぐに読めてしまった。

 

意表を突かれる話の展開だったのは、『カレシの卒業』。

中学時代に読んだ『謎の転校生』(眉村卓・著)を彷彿とさせるSFチックな作品。

読んだ後、「人類の祖先は、かつて他の星から移住して来たんじゃないのかな。」と改めて思った。( ´艸`)

 

中でも特に余韻が残ったのは、『フィニッシュ・ゲートから』。

スポーツメーカーに勤める高校時代陸上長距離選手だった悠斗が主人公。

かつてのその才能や、挫折、失恋などの苦悩を経て、男同士の友情を中心に描かれていて、そのラストシーンに胸が熱くなる。さすが、陸上を描いた著作がある著者。

 

主人公が東京マラソンのコースを歩いて確認したのを振り返る描写で、

「東雲橋があり、豊洲センタービルがあり、新月島公園があり、さらに銀座があり、」の辺りを読んでいて、

同じマラソンコースではないけれど、その近辺の三つの橋を渡りながら私も歩いたことがあるのを思い出した。豊洲に用事があった時、帰りに長い距離を一人でてくてくと。

ブログに写真をUPするのが好きなので、その時の写真を最後に(^^)/

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正面と右側が豊洲センタービルや、ららぽーとなど豊洲方面で、左側が晴海方面。

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晴海、月島方面。

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長い「晴海大橋」から。向こうに見える橋は「豊洲大橋」。その向こうは「レインボーブリッジ」。晴海と勝どきを通り抜け、この地域と月島の間の朝潮運河に架かる「黎明橋」を渡り…。

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月島と築地の間の隅田川に架かる「勝鬨橋」の上から。遠くに見える橋は「築地大橋」。

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レトロな趣がある「勝鬨橋」。

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勝鬨橋資料館」前にある、「勝鬨の渡し」の碑。その説明を抜粋すると、

月島地域には、明治25年に月島と築地・銀座方面を結ぶ渡し船「月島の渡し」が開設されました。その後、両地を結ぶ交通需要が増加し、明治38年には「勝鬨の渡し」と名付けられた渡し船が開設されました。

勝鬨」の名は、京橋区日露戦争における勝利を記念して名付けたことに由来します。

関東大震災後、隅田川を航行する大型客船のために、中央径間部が跳開する可動橋の工事が進められ、昭和15年6月に「勝鬨橋」が完成し、渡し船の廃止に至りました。

 

今年、勝鬨橋についてのテレビ番組も観ましたが、夜のライトアップも綺麗なようですね。

跳開した勝鬨橋も、一度見てみたかったです(*^-^*)

www.tokyo-np.co.jp

(当時の写真はこちらの記事に。)