つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

『お探し物は図書室まで』(青山美智子・著)を読んでみました。

 

図書館などで借りた本ならば返す期限があるので、読み進めるのにエンジンがかかるのだけど、購入した本は、他の用事にかまけて読むのがつい後回しになってしまう。

 テレビで録画した映画などもそうだ。

いつでも観られると思うと、なかなか観ずに録画したままの作品が、何年も前からもうどれだけ溜まっていることだろう。

昔から集中力に欠けているのも原因だと思うけど、携帯をスマホに替えてから、益々気が散りやすくなったと思う。

まぁ、言いたくはないけど年齢的なこともあるのかな。

 そういえば、物忘れは年齢的なことだけではなく、ネット等の見過ぎも脳が情報過多になりその一因と最近よく聞くので、スマホの使用時間にも気を付けようと思っている。

 

ということでやっと読み始めたこちらの作品だけれど、読み始めたら物語にのめり込めサクサク読めて、1作ごと読み終わるのがもったいなくなるような、誰にでもオススメしたくなる心温まる作品だった。

 

この作品は5編からなる連作短編集。

主人公は作品ごとに違うけれど、同じ街中にあるコミュニティハウスに併設された図書室へ、それぞれ悩みを抱えたまま訪れる点では同じ設定だ。

 その小さな図書室には、小町さゆりさんという司書がいる。

主人公達が初めて図書室に入って行くと、一心不乱に羊毛フェルトの手芸をやっている小町さん。

その名前とはイメージがかけ離れた、とても大きくて白い小町さんを一目見た主人公達は、皆一様に面食らったように驚く。

それは、「白熊のようだ。」とか「お正月の神社に飾られる鏡餅のようだ。」とか、それぞれ形容の仕方は違うのだけれど。

 でも、自分を見つめる主人公達に気づいた小町さんが発した、

「何をお探し?」というその温かく奥深い不思議な声の響きに、主人公達は一瞬にして、何とも言えない安堵感に包まれ、つい本音が口をついて出てしまう。

 

その少しの会話から、小町さんは主人公達が求めていたパソコンや起業、囲碁などの書籍以外に、何の脈連もない本も1冊選書して薦める。

そして最後に、本の付録として小町さん手作りの羊毛フェルトの可愛い作品を一つプレゼントする。

 主人公達は、小町さんから最後に思いがけず薦められた1冊である、『ぐりとぐら』の絵本や、草野心平の詩集、英国の植物図鑑などが心に風穴を開けてくれて、自ら動き出すヒントを得て行くというストーリー。

 

作品の舞台の中心が、同じ街にある図書室であり、その街に住んでいる他人同士の主人公達がそれぞれ悩みを抱えながら出向いて来るという話の設定が面白いと思った。

 そして、何の脈連も無く見える主人公達含め他人同士でも、どこかで繋がっているのが分かって来て、人は一見関係ないようでも実は色々繋がり広がっていって、小さな縁が次々出来て行くんだなぁと感じさせられた。

ブログでの縁も同じようだけれど。

人同士ではなく物との出会いでも。

例えば2章での、いつかアンティークショップを経営してみたいと夢見る35歳の諒の話。

私は、アンティーク品は、アクセサリーなど特に以前の持ち主の念がこもっているような気がして元々興味はなかったのだけれど、

「アンティークとは、悠久の時を経て受け継がれてゆくもの。持ち主の元へ行くべきもの。」

「(その物と人が)出会えるように介在したい。」

との台詞に、アンティークに対する見方が変わり、その品たちは悠久の時や空間を経て、たどり付く場所が決まっていると思うとロマンを感じた。

 

また同じ章で出て来た、浜に流れ着いたガラスのかけらのシーグラスについて。

「それは時間をかけて波にのまれ角が取れ、自然が生み出す工芸品となって異国の海辺に流れ着くのだ。」という部分も心に残った。

それを知った上で、アクセサリーや置物として自分が購入した場合、海の中をずっと旅して自分の手元に来たその長い時間に思いを馳せると、その物に対する思いも、それを知る前とでは全然違うような気がする。

 

主人公達に小町さんが薦めた一冊の中で、私が特に興味を持ったのは『月のとびら』(石井ゆかり・著)だ。

3章での主人公、育児と仕事に行き詰っていた41歳の夏美。

夏美が小町さんからもらった羊毛フェルトは小さな地球だった。

夏美が『月のとびら』を読みながらこの小さな地球をクルクル回して見ていると、天動説と地動説を思い出す。

昔の人が信じていた天動説とは、まさに今の自分自身だと気付く。

自己中心的な考え方だと、被害者意識でしかものごとを考えられない。

 

 「地球は動いているのだ。朝や夜は、『来る』ものではなく、『行く』ものなのだ。」

という部分にも私自身もハッとさせられた。

地球の上で生きていると、地球が回っていることをつい忘れてしまう。

天体が動いて来てくれるのではなく、自分たちが地球と共に動いて、太陽や月に会いに行っているんだと思うと新鮮な気分にかられた。

 だから、夏美も自ら変容しようと思えた。

他人の一面だけ見て羨ましく思い、その後ろ姿だけを追い続けているのは、皆でメリーゴーランドにずっと乗っているようなものだから。

 その夏美の気持ちを聴いた小町さんの、

「どんな本でもそうだけど、あなたがそういう読み方をしたっていう、そこに価値があるんだよ。」

という言葉もとても心に残った。

 

「心の中には、目に見えない何かを見るための、2つの目を持っている。一つは、理性的に論理を眺める、『太陽の目』。もう一つは、感情や直感でそれを捉えて結びついたり、対話したいと願う『月の目』」

という作中の引用部分に特に惹かれた『月のとびら』、私も是非読んでみたいと思った。

 

 一瞬のひらめきで、人の人生に影響を与えられるぴったりの書籍をレファレンス出来る、小町さんのような司書はそうそういないと思うけど、この本を読んだ誰もが、小町さんがいる図書室に行ってみたいとおもうんじゃないかな。

そして自分にはどんな本を薦めてくれるのかとても興味がある。

 

「先ず動いてみると、徐々に自分の周りでものごとが変化し始める。」

「そういう縁は、やりたいことをいつかやろうって時を待っていたら巡っては来ない。大事なのは運命のタイミングを逃さないってこと。」などの言葉も印象的だった。

 

また5章で、定年退職した主人公が、小町さんや娘達との会話から、自分のこれからの人生はただの残りの人生ではないと思えるようになった点も良かったけれど、その会話の中での、

「本とは、作る人と売る人と読む人その全員のものだ。」

「人と人が関わるのなら、それは全て社会だ。」

という言葉から、生産する側だけでなく消費する側も立派な社会の一員であり、全ては繋がって循環しているんだと改めて気付かされた。

 

私がこのブログを始めたのは、図書館で借りた本の感想を記録しておこうと思ったことがきっかけだった。Facebookなどやっていなかったので。

そして自分が感銘を受けた部分などが、それを目にした誰かの背中も押すきっかけに繋がったらいいなという気持ちもあった。

なので同じ人も多いかと思うけど、これからも本などの紹介をすることで、人と作品とが出会う橋渡し的な役割が少しでも出来たらいいなと思う。

というほど最近本を読んでいないのだけど^^;

 

著者である青山美智子さんの『木曜日にはココアを』他、また違う本も読んでみたいと思った。

 

f:id:tsuruhime-beat:20210612142047j:plain

物語に出て来る、羊毛フェルト作品が可愛い表紙です。