今年1月に刊行された小説。図書館でリクエスト予約して読んでみた。
俳句教室で知り合った86歳の益恵、80歳のアイ、77歳の富士子は、20年来の仲良し三人組だ。
益恵は認知症が進んでしまい、益恵の夫・三千男は妻を施設に入れることを決意する。その前に、益恵の想い出の地を巡る旅を益恵と一緒にしてもらえないかと、脚の不自由な三千男はアイと富士子に頼み込む。
かつて益恵が最初の結婚で住んでいた、大津と松山、そして長崎県の國崎島だ。
國崎島は益恵が満州から引き揚げ後に、暫く暮らした島だった。
自分達の身体もあちこち悪く体力に全く自信がない二人だったけれど、益恵の過去にある心の「つかえ」を取り除いてやりたいという三千男の希望を叶えたく、またこれが三人で出来る最後の旅行になるという思いから決意する。
益恵は、今まで理性で抑えていたものが認知症によって溢れ始め、過去の断片に苦しんでいた。
益恵はまだしっかりしていた頃に「アカシア」というタイトルの自分の句集を知人達に贈っていた。その送り先の名簿の中から、大津、松山、佐世保の國崎島の益恵の知人には事前に知らせておき、それらの人々を訪ね歩く長旅だった。
益恵にとっての俳句作りは、誰にも話せなかった、子供時代に壮絶な体験をした旧満州での思いなどを唯一吐き出せる場所でもあった。
その句と共に、益恵の過去が次第に明らかになって来る。
三人での旅の様子と、益恵の旧満州での逃避行が交互に描写されるのだけれど、満州引き揚げ体験が想像を絶する凄まじい体験で何とも言えない気持ちに駆られた。
また、上官の命令により日本兵が中国人の大人子供問わず殺さなければならない場面などあまりにも残酷で、読み進めるのが辛くなり、その箇所は早送りのように読んでしまった。
これら満州でのことは、著者が当時の様々な参考文献を調べて描かれた事実であることがよく分かる。
かつて満州で、終戦前までは関東軍が満州の人達に行った行為、終戦と共にソ連が侵攻してからは、ソ連兵や中国人による日本人への残虐行為も、それまでも見聞きして多少知ってはいたけれど。
それは昔読んだ、藤原てい自身の旧満州からの引揚げ実体験を描いた、『流れる星は生きている』でも、詳細は忘れてしまったけれど、こちらも壮絶な体験談だったと記憶している。
そういえば、朝鮮半島の伝統的な床暖房であるオンドルについても、この小説で知ったのだった。
「背を向けるむくろを照らす赤き夕陽に」
という「アカシア」に収められている句は、益恵の家族含む一団が集団自決した時のことが描かれた句だ。
亡くなった母親の下で生きていた益恵。その母が抱いていた小さな妹が益恵を見つめる無垢な黒い目と差し出された小さな手。僅か10歳だった益恵には、その赤ん坊を連れて逃げることは到底出来ず、背を向けて歩き出す。
その時の心情が、それを思い出す度に押し寄せてきたであろう感情が、この句からは痛いほどこちら側にも伝わって来た。
とはいえ、自分には益恵の慟哭の100分の1も分かっていないだろうけど。
その後も、あの時家族と一緒に死んでいたらどんなに楽だったろうと、益恵は満州で度々思う。
銃弾が飛び交う中一人で逃げ、やっとの思いで収容所にたどり着いても孤児は配給ももらえず、日本への船が出る港へ向かう汽車にも乗れない。寒さと飢えや伝染病も蔓し、大勢の人が命を落としていく収容所。
親も無く家も無く、今日一日をやっと生き抜くだけで先も見えない日々。
「この戦争はいったい誰が始めたものなのだろうか。」
「こうやって失われていく一つ一つに命があることを、その人達は考えたことがあるのだろうか。」
と、子供なりに考えを巡らせる益恵の言葉が心に残った。
今現在起こっている、ミャンマーで虫けらのように殺されている一般市民の一人一人の尊い命について、国軍の偉い人達は考えを巡らせたことがあるのだろうか。
それでも益恵は一緒に行動を共にする友達も見つけ、「野生の羊」のように次第にたくましくなっていく。
辛い経験ばかりではなく、親切にしてくれる中国人夫婦とも出会える。 その夫婦は、かつて日本人に親切にしてもらった経験から、益恵達に温かく接してくれたのだった。
こういう親切の連鎖は「恩送り」って言うのだと、最近何かの記事で目にしたっけ。
益恵達が、その中国人夫婦と別れる時にかけられた言葉「再見」。
「もう二度と会うことはないけれど、さよならは『再見』だ。」と、中国の言葉は優しいと益恵は思う。
三人での旅を通じて、かつて益恵が住んでいたそれぞれの土地で出会った人達の話から、益恵はその人柄ゆえどこでも慕われたという事や、引き揚げ時だけではなく最初の結婚の辛い経験など、益恵の過去が明らかになって来る。
そして、認知症になってもなお消えることのない満州での友人との絆や、生涯抱え続けて来た驚きの事実も明らかになる。
一方、旅に同行したアイ自身この旅で変わったのは自分かも知れないと思う。
先が長くないアイたちにとってもこの旅は貴重なひと時であり、向き合っていたのは益恵の人生ではなく、自分自身の人生だったように思えて来る。
読み進めるうちに、アイも富士子も様々な問題を抱えていたことが分かって来る。
ラストの場面で、教会でパイプオルガンでの荘厳な演奏を聴くシーンがある。
この『羊は安らかに草を食み』というタイトルは、この時流れたバッハの曲から付けられたのだと分かる。
読み終えた後その曲をyoutubeで聴いてみたら、「安らぎの中にも、希望と喜びが感じられる。」と、登場人物たちが感じたようなまさにそんな癒しの曲だった。
聴いているとこの曲と益恵の人生が相まって胸に迫って来るものがあり、聴いた時が夕暮れだったのもあり、窓の外の夕陽と、益恵がかつて満州で見た忘れ得ぬ赤い夕陽が、時空を超えて一瞬繋がったように感じられた。
戦争とは人間が人間でなくなる。理性がなくなり、どんな残虐なことでも出来る生き物と化す。そしていつも弱い一般市民が真っ先に犠牲になる。戦地体験で、精神に異常を来してしまう兵士もたくさんいる。
そういうことが、この小説からも改めて伝わって来た。
日本では戦争の記憶は薄れて行くばかりだけれど、過去に実際あったということを、この作品を読んだ自分は、せめて憶えておかなければいけないのだと思う。
あの時満州にいたたくさんの益恵たち戦争孤児や、亡くなった大勢の人達のためにも。
脳梗塞からの認知症で既に亡くなった、私の両親も戦争で辛い経験をした過去があるので重ね合わせて読んだり、近い未来である自分の老いなどにも思いを巡らしたりもした。
後半のクライマックスで、サスペンス調に転じ意外な展開になった辺りは違和感を感じたのだけど、誰にでもオススメしたくなる作品だった。
ラストの方での富士子の台詞である、
「別れる辛さを思うより、この世で出会えたことを喜びましょう。」
という言葉も強く心に残った。
(綺麗なお姉さんの解説付き「羊は安らかに草を食み」をどうぞ♪)