つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

『水を縫う』(寺地はるな・著)

f:id:tsuruhime-beat:20201111180235j:plain



ブログには書かなかったけど、今年初めに読んだ『ビオレタ』以来久しぶりに読んでみた寺地はるなの作品は、今年5月に刊行された『水を縫う』。

図書館にリクエストしてから約3か月程待ちやっと順番が回って来た。

 

今回も著者の多くの作品と同じく、家族物で章毎に登場人物の語り手が入れ替わる連作短篇スタイルで、今作品も関西弁の台詞が温かい。

 

最後まで読んでタイトルの意味が分かるように、各章毎の水に纏わるタイトルの意味もその都度胸に響いて来た。

 

 (今回も記憶に留めておきたい言葉満載だったので、本文内容が含まれています。)

 

主人公は、手芸が大好きでクラスで浮いている男子高校生、松岡清澄

そんな清澄をいつも心配している祖母と市役所勤めの母。子供の頃怖い思いをしたことがきっかけで、可愛いものが嫌いになった学習塾勤めの姉との4人暮らし。

両親は清澄が1歳の頃に離婚していて、父親・全とはいつも外で会う関係だ。

 

結婚が決まった姉・水青(みお)が、華々しいレンタル衣装ではなく、シンプルなウエディングドレスの制作を清澄に頼み、清澄はやる気いっぱいで、同じく縫物が得意な祖母に協力してもらいウエディングドレス制作に取りかかる。

 

でも、中々姉の希望通りの極めて地味なデザインが出来なくて、姉が疎んじていた父に協力してもらうことになり、父の勤め先であり、父の友人が社長の黒田縫製工場に姉と二人で出向く。

その父も、かつては服飾デザイナーを目指す夢があった。

 

特にその場面からラストの大団円を迎えるまでの過程が、各々の心情が切々と伝わって来て心に響く場面が多く涙腺緩みっぱなしだった。

 

「自分に合った服は、着ている人間の背筋を伸ばす。

服はただ身体を覆うための布ではない。世界と互角に立ち向かうための力だ。」

 という、長年縫製工場を営んできた黒田の台詞もとても心に響いた。

 

この「世界」は「世間」に置き換えてもぴったりに思うけど、普段は意識していなくても、確かにお気に入りの服からは、その生地や色・デザインも含め、目に見えないパワーが心に作用して来るのだろうと思う。

そう思える服を自分も選んで行けたらいいなと感じた。

 

父親・全の雇い主で友人でもある独り身の黒田は、金銭感覚の無い全に代わって、全の給料から毎月の養育費を渡す事と、清澄の成長記録の写真を撮りに、松岡家へ定期的に通って来ている。

 

そして清澄にいつしか実の子の様な愛情を感じているその思いや、不甲斐ない全に対して、またデザイナーとしての力を発揮してくれることを切に願って来た気持ちが、黒田の章である「しずかな湖畔の」辺りからぐっと心に迫って来た。

そして、遠くからずっと見守って来てくれた黒田に対しての清澄の思いにも。

 

最後の章「流れる水はよどまない」で出て来た父親・全の思いも、とても心にこみ上げて来るものがあった。

 

「流れる水は、決して淀まず常に動き続けていて、だから清らかで澄んでいる。でも、一度も汚れたことが無いのは『清らか』とは違う。進み続けるもの、停滞しないものを清らかと呼ぶのだと思う。色々なことがあっても、それでも動き続けて欲しい、流れる水であって下さい。」

 

これは清澄への父親の思いであっても、著者から今の時代を生きる読者へのエールにも感じてしまった。

 

 

また水青の婚約者が、自分の思いをはっきり口にすることが出来ない性格の水青に対して言った、

伝える努力をしないくせに『分かってくれない』なんて文句言うのは違うと思うで。」

 という台詞も、よく耳にする意味合いの言葉ではあるけれど、やはりつい忘れていてハッとなった。

 

 

「個性は大事と人はよく言うが、学校ほど個性を尊重することや伸ばすことに向いていない場所は無い。」

 

「好きなものを好きじゃないふりをすることも、好きじゃないものを好きなふりをすることも、どちらも寂しい行為だと気付いた。だから刺繍は止めず、周囲に合わせることはやめた。」

 と思っていた清澄。

同感、同感!

 

でも清澄が高校生になって今までの人生で初めて出来た友人宮多君は、清澄の手芸の才能に素直に感動して認めてくれて、刺繍は止めなくても友達は残ったと感じる。

 

それによってそれまで頑なだった清澄の心にも新しい発見がもたらされ、そんな友達関係の事が描かれている第1章もとても印象深かった。

 

数年前に読んだ、村田沙耶香の『コンビニ人間』でも思ったけれど、この物語は「普通」って何だろうってことを考えさせられる。

自分の中にもあった、固定観念にも気付かされたり。

 

清澄の母親も、何も刺繍なんかに夢中になって悪目立ちしなくてもと、普通の男子でいて欲しいと願っていた。

でも普通の男子なんて、漫画や映画の世界にしかいないと清澄は思っている。

 

仕事が忙しく、苦手な料理や縫物は清澄の祖母にお願いしていた清澄の母も、手間をかけることが愛情の証だと思わないで欲しいと、世間からの無言の圧力に抵抗している。

その気持ちもよく分かった。愛情のかけ方、表し方は人それぞれだし。

 

祖母自身も、そんな昔からの固定観念や亡き夫からの呪縛からも解放されて、流れる水のように好きなことに向かって動き始めた過程も良かった。

 

好きなことは生きる上でとても大切な事で、流行っているとかお金になるとかで選びたくないと思っているもう一人の清澄の友達であるくるみも、何の変哲もない小石集めが大好きだ。

 

朝の光の中でのラストの場面は、もう本当に映画の1シーンが目の前に広がって来るようで、これを映像化にしたら本当に綺麗で素敵な場面になるだろうなと思った。

配役は誰が良いかな~なんて、またつい考えてしまう。

 

ドレス制作を手伝う時、着ていて落ち着かない生地は疲れてしまうのでダメだと常々思っている父が、娘が落ち着く生地を選び次々ピンを留めをして行くだけで、一枚のシンプルな生地が美しく変化していく様子も、脳裏にその美しい光景がありありと浮かんで来るような素敵な描写だった。

 

 

この物語には、清澄が得意な刺繍のその歴史を知りたいと、世界中にある刺繍の特徴について書かれた部分も印象的だった。

 

インドでは、「ミラーワーク」と呼ばれる鏡を縫い込んだ刺繍の技法があるそうで、鏡が悪い物を反射して身を守ってくれるのだそうだ。

また、赤ちゃんの身に着けるものには魔除けになる刺繍とか。

 

手法は色々違うのに、そこに込められた願いはみな世界共通しているなど、その箇所を読んで改めて刺繍の奥深さを知った。

 

私も刺繍は昔は好きでよくやっていたけど、久しぶりにやってみようかな。

先ずは、自分の下着に刺繍糸で名前を縫い付けることから。

 

な~んて、さすがにそれは、今はまだありえましぇ~ん(笑)