つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

ミンディさんとデーケンさんと哲学の話。

 

ミンディさんとは、所属している外国人に日本語を教えるボランティアで、昨年初め頃から私が担当しているアメリカ人女性です。

 

ミシガン州出身で、20年以上前にイングリッシュ・スクールの教師として来日し、そこで知り合った日本人男性と結婚して、現在小学生と中学生2人のお子さんがおられます。

 

ミンディさんは、この20年間プラトン哲学の勉強をしていて、最初にこの日本語教室に来た時も、以前ご自身が勉強していた日本語のテキストと一緒に、プラトン著書の『メノン』の文庫も持参していました。

 

担当した私も哲学には昔から多少興味があって、学生時代に哲学の授業も1年間だけ選択していたこともあります。

その時にプラトンもさらっと習ったはずですが、今となってはすっかり忘れていますが。

 

でも、その授業で今でも憶えているのは「自分たちは生きているか、生かされていると思うか。」との質問で、その時私は「生かされている」と感じるのは主体性がないように思え「(自分自身で)生きている」と感じていました。

でもそれ以降は段々「生かされている」と思うようになって来ましたが。

 

ミンディさんが哲学好きと伺い、私もその時初めて目にした『メノン』に興味が湧き、それも教材に一緒に取り組んだのですが、ある程度やってからは、お子さんが以前使われていた道徳の教科書を教材に日本語の勉強をしました。

 

プラトン哲学書『メノン』とは、プラトンの師であるソクラテスが対話者メノンとの対話形式で書かれたもので、「徳は教えられうるか」というメノンからの問いにソクラテスは「徳とはそもそも何であるか」と問い返し、「徳」への定義が始まり話が展開して行きます。

 

私自身もちゃんと理解してはいませんが、ミンディさんと『メノン』を勉強した中で、プラトン哲学の典型は「想起説」であり「想起説」とはソクラテスの言葉で、

 

「人間の魂は不滅であり永遠であるから、魂は既にあらゆる知識を持っている。

今現在の人間の生においてはそれが忘れられている状態。

知識を探求することは、この忘れているものを想起することにほかならない。」

 

ということだそうで、ソクラテスも弟子のプラトンも輪廻転生の考えを持っていたようです。

 

 

日本語教室は、コロナ禍により春から暫くお休みでしたが、先月頭から再開されました。

 

 先月久しぶりにミンディさんとお会いした時に、「これプレゼントです。」と渡されたのが、こちらのミンディさんが初めて出版された、プラトンの哲学について書かれた本で、日本語訳でのタイトルは「英知の美を発見する:ギリシアの哲学で神秘主義道を辿る」だそうです。

 

神秘主義道をたどる。」とは、「精神的な生き方を実践する。」という意味だそうです。

 

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今回そのお礼の気持ちも込めて、この本の紹介とミンディさんの事をブログに書いてみようと思いました。

 

ご自身での校正時間も含め約4年間かかって書き上げ、今回イギリスの出版社から発売されたそうで、ご興味のある方は、Amazon.co.ukで購入出来るそうです。

 

英語で書かれ約400ページ近くあり、なかなか読み応えありそうです。(私には読めませんが^^;)

 

この本には、難解なプラトンの様々な教えを、分かりやすくまとめ説明してあるそうです。

 本を頂いてから最近は、ミンディさんが少しずつ訳されたこの本を教材に日本語の勉強をしていて、なかなか興味深いです。

 

序盤では、ご自身が幼い頃から様々な人間関係に悩んで来たエピソードも書かれ、大人になってから人生の岐路に立ち、改めて自身の心の内を見つめたこともあり、プラトン哲学にも強く引かれていったのが分かりました。

 

哲学は宗教と似ている部分もあり、宗教でも哲学でも心から信じられる心の拠り所を見つけられた人は、ぶれることなく強く生きられるようで、私も昔から羨ましく思っていました。

 

プラトンの哲学を勉強して来て、ご自身にとって何が一番良かったかをミンディさんに伺ったら、以前より人間関係がスムーズに上手く行くようになり、幸福感が増えたことだそうです。

 

そして人それぞれどんな信仰を持っていても、プラトン哲学を学ぶことによって、その信仰をより深め理解する力が増すとも言われていました。

 

私も、世の中の様々な宗教における神の大もとというか、根源は一つなのではと思っているので、そういう部分でも共通しているんだろうなぁと感じました。

 

 

ところで、私が日本語教室のボランティアをやってみたいと思ったきっかけは、単に国際交流をしてみたいという軽い気持ちからでした。

 

なので最初に見学に行った時に、代表の方から「英語などの外国語は出来ますか?」と訊かれ、全く得意ではなかったので「出来ません。」と答えましたが、特に外国語が得意でなくても、外国の方は日本語を習いに来ているので日本語が基本だから、人とのコミュニケーションが好きなら大丈夫だと言われました。

実際ミンディさんのように、日本の生活が長い方はゆっくり話せば会話が成り立つので。

 

それに日本語初心者の方相手でも、説明しやすく分かりやすい教材が色々揃っているので便利だということが分かりました。

 

私もその時間はスマホの翻訳アプリ頼りで、自分自身でも一応アプリを使っての英語学習も少しはやっていますが、憶えても忘れるのも早くて、昔から洋楽・洋画大好きだったのにほんと情けなくなります。

 

なのでもし日本語ボランティアに興味があり、やってみたいけど自信がないという方でも、私でも何とか出来ているので大丈夫です。

 

ミンディさんは本をやっと書き終えたので、今は、プラトン哲学についてYouTubeチャンネルでのんびり配信しているそうです。

 ミシガン州のご家族も皆元気だそうで良かったです。

 

先週私が観た映画に、トム・ハンクスが演じたアメリカの人気司会者、フレッド・ロジャースが出て来た話をしたら、もちろんご存じで懐かしそうでした。

 

興味が似通っている者同士は、互いに引き寄せられるのかも知れませんが、瞑想も私は3年ほど前から習慣にしていますが、ミンディさんも大学時代にサークルでやっていたヨガから瞑想の習慣が長く続いているようです。

 

その日本語教室である時、私を挟んでミンディさんとは反対側にいたタイ人女性もお国柄もあって瞑想習慣があるそうで、3人で瞑想談義に花が咲いたことがあります。私の場合は、長く続けていた家族が心身共に効果があったので、私もやり始めてみました。

 

 ☆ ☆ ☆

 

話は変わりますが、哲学といえば今週初め新聞記事で、哲学博士でありイエズス会司祭であり上智大名誉教授のアルフォンス・デーケンさんが、6日に亡くなられたことを知りました。

 

デーケンさんは、日本で初めて「死生学」を提唱し「死への準備教育」を定着させたドイツ人です。

 

私も昔デーケンさんのコラムが連載されていた記事を読み、その話に興味を持ち、上智大学に隣接する聖イグナチオ教会の会館で一般の人向けに無料で開講していた、講座に通っていた時期があります。

 

もう20年近く前の話であまりよく覚えてはいませんが、このような資料を使い、ご自身が12歳の時、目の前で祖父が兵士に射殺されたことや、20代の初め身寄りのない末期がん患者を看取る体験をしたことから、「死」を哲学的に探究するようになったことなども冒頭で話して下さいました。

 

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キリスト教の教えを交えながら、悲嘆のプロセス等の「死生学」や、終末医療・介護の「ターミナル・ケア」についても資料を交えて説明して下さいました。

 

森が多いドイツでは、奥様と森の中を長い時間散歩するのがお好きだとか、ドイツのことなども始終ユーモアを交えてお話されて、優しいお人柄がひしひしと伝わって来たのを覚えています。

 

購入した書籍にサインを戴いたり、直接お話した時の笑顔も忘れられません。

講座を受けていた皆を、地下にある納骨堂に案内して色々説明して下さったのも思い出深いです。

 

自分の死を見つめることは、自分に与えられた死までの時間・毎日をどう生きるのか、

自分の「生」を見つめる事。

 

デーケン先生のご冥福を心からお祈り致します。

 

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