つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

『ライオンのおやつ』(小川糸・著)~思い出のおやつとは。

 

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余命を告げられた海野雫は、残りの日々を瀬戸内の島のホスピスで過ごすことに決めた。そこでは毎週日曜日、入居者がもう一度食べたい思い出のおやつをリクエスト出来る「おやつの時間」があった。

(小説の帯文より)

 

 
この小説を読んでみようと思ったきっかけは、刊行された昨年秋に開催された小川糸さんのトークイベントに応募し参加出来て、とても興味深い内容だなと感じたからだ。

読みたいと思いつつ早半年経ってしまったけれど。

 

先ず冒頭、雫がホスピスがある瀬戸内の島、通称・レモン島に向かう船の中での、

 

「幸せというのは、自分が幸せと気付くことなく、ちょっとした不平不満を持ちながらも、平凡な毎日を送れることなのかも知れない。」

 

という思いは、普段の日常の中にこそ幸せがあると、今あたり前の日常を送れなくなった誰もが思っていることなんじゃないかと感じた。

 

そしてこの小説を読んだ誰もが自分が余命宣告されたら、最後はこのようなホスピスで心穏やかに過ごしたいと感じるのではないだろうか。


この理想的なホスピスがあったとしても、なかなか入ることは出来ないのではと思うけど。

 

風光明媚な瀬戸内の島の景色と美味しい空気。
部屋の窓から見える、レモン畑の向こうにどこまでも広がっている青い海。
このライオンの家のホストであるマドンナさんはじめ、温かいスタッフや島の人々。
六花という可愛い犬。美味しい食事。
ボランティアから受けられる音楽セラピーなど。

 

家族と離れてもこのような素敵な場所で、残された僅かな時間でも過ごすことが出来たらと思ってしまう。


33歳の雫の場合はあまりにも若過ぎるけれど。

 


ライオンの家での食事は、全て「魂に直接響くような美味しさ」なのだそうだ。

 

その言葉通り、雫が入居して最初に食べた朝食の小豆粥や、毎週日曜に振舞われる、入居者リクエストの「もう一度食べたい思い出のおやつ」なども、その味や匂いが読んでいるこちらの心と身体にまで染み渡って来るような描写でとても美味しそうだった。

 

そのおやつにまつわる思い出を書いた手紙が読み上げられるひと時も、その様々な人生を垣間見れられ心を揺さぶられた。

 

この島で知り合ったタヒチ君と雫とが、海辺である約束を交わす場面はじめ、この小説では何度も泣かされてしまうシーンがあるのだけれど、それは悲しさというよりも、この物語全編に溢れている愛おしさ、優しさといった感情から来る切なさからだと感じた。


若くして不治の病で亡くなる話なのに、雫が穏やかに死を受け入れて行く過程なども暗さよりもむしろ全編を通して穏やかで爽やかな作品だった。

 


マドンナが雫に語った場面で特に印象的だったのは、このホスピスの名前の由来を説明した時の、

 

「ライオンは百獣の王だから、もう敵に襲われることなく安心して寝たり食べたり出来る場所。」

「だから雫たちゲストも皆がここでは百獣の王であるライオン。」

 

という場面と、死に対して語った、

 

「生まれることと亡くなることはある意味背中合わせですから、どっち側からドアを開けるかの違いで、こちら側からは出口でも、向こうからは入り口になる。」


「生と死は、大きな意味では同じで、ただ回っているだけで始まりも終わりも無い。」

 

という、これは輪廻転生の考えと同じだなと感じた部分。


前に読んだ白石一文の『君がいないと小説は書けない』にも、同じような意味のことが書かれていたのを思い出した。

 


人は出会いと別れの繰り返しとよく言われるけれど、人生の最後にこのような場所でこんな素敵な出会いがたくさん待っているのなら、雫のように自分はとても幸福だと、誰もが皆に感謝して亡くなって行けるように思う。

 

 

昨年のイベントで、著者の小川さんが「死ぬのが怖くなくなる小説を書きたい」と思ったと語っていたけれど、私にとってもその効果があった小説だった。

 

 

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その昨年秋にあった、朝日新聞本社の読者ホールで行われたトークイベントのテーマは、この新刊に因み「「人生最後に食べたいおやつとは?」だった。

 

担当編集者さんとの対談形式で進められ、観客からの質疑応答時間なども楽しかった。

 

小川さんは清楚でシンプルな紺のワンピース姿で、イメージ通りの話し方も静かで落ち着いた雰囲気の方だった。

会場はほぼ女性で埋め尽くされていて、女性からの支持が高いことが伺われた。

 

小川さんがこの小説を書こうと思ったきっかけは、ご自身の母親が病で余命宣告をされ、死ぬのが怖いと言っていたことから、死をきちんと見つめ直し、死ぬのが怖くなくなる小説を書きたいと思ったからだそうだ。

 

大好きで何度も旅行で訪れていたドイツ・ベルリンに2017年から住み、東京とベルリン二拠点生活を送られていたようで、この作品は全てベルリンに滞在した時に書かれ、その時の経験も反映されていたようだ。

 

人はおやつの記憶と人生の幸福とは結びついていると思ったことから、この小説のテーマなったらしい。


小川さん自身が忘れられないおやつは、それまで甘いおやつを出してくれなかった祖母がたった一度だけ作ってくれたホットケーキだと語っていた。

 

観客に向けた「人生最後に食べたいおやつは?」との問いに、私だったら?と考えてしまった。

 

「人生最後に食べたい食べ物は?」という質問ならよく聞くし答えやすいけれど、おやつだとねぇ・・・

 

子供の頃のおやつの思い出というと、母親がお正月の硬くなったお餅を細かくして揚げてくれた香ばしいあられかな。

 

あ、それと私が住んでいた下町では、駄菓子屋さんが店の奥でもんじゃ焼き屋もやってたりしたので、小学時代は友達とおやつ代わりに大好きなもんじゃをよく食べに行ったっけ。

 

今のような土手を作ってから食べるなんて流儀なんてのも無かったな。


鉄板に張り付いたもんじゃのおせんべいを上手く剥がして食べた時の味も忘れられない。


隣のテーブルに嫌いな男子がいて、嫌だったこともあったっけな。

 

あぁ、もんじゃが食べたい^^;

 


皆さんなら、人生最後に食べたいというより、思い出のおやつって何でしょうかね・・・

 

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(その帰りに撮った、ライトアップされた築地本願寺です。)