書評を読んで面白そうだと思い、図書館にリクエストして読んでみた。
著者である藤野可織さんの芥川賞受賞作『爪と目』はまだ未読だけど。
著者が周りの友人や関係者から聴いて、幽霊目撃談や不思議な話を集めたエッセイ。
藤野さんご自身は、幽霊が見える体質ではなく、是非見たいと思っても遭遇出来ないのだけど、他の人から聴いた体験談がユーモアを交えて軽いタッチで書かれてあり、サクサクと読み終えることが出来た。
その目撃談は心霊スポットへ行った時や、金縛り時に心霊に寝込みを襲われる場合が多い。堀辰雄の『風立ちぬ』の舞台になった富士見高原病院を訪ねた人のエピソードも興味深かった。
私もスピリチュアルな世界は信じるけれど、幽霊は見たことが無く、睡眠不足などが原因でも起こる寝入りばなの金縛りは何度か経験があるけど、怖くて目を開けたことが無いので、例え幽霊の仕業であったとしても分からない。
著者自身は、どうせ見るなら自分が好きな有名人の幽霊に遭遇したいと思っていて、芥川賞候補になった時に、出るという噂の新潮社クラブに泊る機会を得て、是非大好きな三島由紀夫や開高健に会えますようにと願うけど、結局遭遇出来なかったそうだ。
そうした小説家の話で面白かったのは、『文芸怪談実話』での小林秀雄の話には、菊池寛自身の霊体験が紹介されているという箇所だ。
菊池寛が講演旅行先の旅館で夜中胸苦しさで目を覚ました時に遭遇した幽霊に、「君はいつから出ているんだ?」と訊いたら、その幽霊が「3年前からだ」と答えたという。
なのでそれを読んだ藤野さんも、「せっかく出たからにはその幽霊とコミュニケーションを図りたい。菊池寛は最高だ!」と書かれていたのには笑えた。
著者が飼っている架空の猫、エア猫を可愛がる描写も面白い。
架空の動物なら気楽に飼えそうなので、私もエア犬かエア猫を飼ってみようか。
エア犬の場合、外での散歩は人目が気になるので難しいけれど。
また、著者のパソコンのデスクトップは自身が大ファンであるニコラス・ケイジのお墓の写真であるというのもユニークだ。
ニコラス・ケイジはもちろん生きているけれど、2010年にニコラス・ケイジがアメリカ・ニューオリンズにある墓地に自身のお墓を購入したらしい。
高さ2.7mもある、白いピラミッド型だそうだ。
その墓地を著者が訪れた時のエピソードも書かれていたが、その時宿泊したホテルもHPに幽霊が出ると堂々と書いてあったそうだけど、遭遇出来なかったとある。
宿泊施設のHPに幽霊が出ると堂々と表記されているなんて、日本では評判が下がるから考えられないのではないだろうか。
アメリカではそれだけオカルトツアーが流行っているという事なのかな。
また、映画館に関する不思議な話も面白かった。
著者の知り合いが『ダークナイト』を観ようと思い、指定されたシアターで予告編に続いて始まった映画は『ローマの休日』だったそうでびっくりしたという話だ。
係員に確かめに行ったら確かに間違いではなく、もう一度入り直したら今度は確かに『ダークナイト』をやっていたそうだ。
その映画館ではその日『ローマの休日』はどのシアターでもやってなく、『ローマの休日』では満席でも『ダークナイト』では両隣の席は空いていたというのも不思議だ。
パラレルワールドに入ってしまったのかという感じだった。
幽霊とは何かという問いに対しては、著者が『ジェーン・ドゥの解剖』という映画を観てから、
「幽霊とは生きている時に上げられなかった声だ。」
という答えに思い至る。また、
「私達は誰であれ今でも、上げられない声を抱えながら生きているから、それでこんなにも幽霊を追い求めるのだ。」
と、あった。
子供の頃から怖い話は興味津々でも、怖がりな私は著者のように幽霊を追い求める事など真っ平ごめんだけれど、この「生きている時に上げられなかった声」というのは、なるほどと感じた。
☆ ☆ ☆
話は逸れるけど、この話から思い出すのは、毎週見ているEテレのウィル・スミスがナビゲーターの『奇跡の星』での「生と死の循環」という回で登場した宇宙飛行士の話だ。
その宇宙飛行士が宇宙にいる間に、少し前に亡くなった父親の存在を何度も身近に感じ、その存在が宇宙滞在中精神的な支えになったそうだ。
その父親を視野の端に感じていても、顔を向けると消えてしまいそうなので見られなかったけど、父親は「お前を誇らしく思うよ。」と語りかけてくれたそうだ。
そしてその体験から、「父の人生は、別の形で生き続けていると思うと心が安らぐ。」と語っていた。
この番組でも、
「亡くなっても地球の生命の一部になり、本当に消え去ることはありません。」
と言っていて、
「昔、世界は平らだと思われていたように、人生は、生きて死んで終わりという一本の線と考えられがちだけど、でも本当はそうではなく、線の端を繋いで円にすべき。」
という解説から、まさに、生と死は循環しているのだろうと思わせてくれる内容だった。
誰でもそうかも知れないけれど、私も子供の頃から、何故自分が生まれて来たのか、死んだらどこに行くのか、宇宙や自分は何故存在しているのか等の謎についてずっと関心があった。
それらについて昔、キューブラー・ロスの本や、立花隆の『臨死体験』(臨死体験とは脳の働きで説明出来るものと、科学的に説明出来ないものがあるという内容)等も読んで、この世は不思議な現象が色々あり、目に見えるものだけで存在しているのではないということは信じている。
実際、見える色彩等の違いについても人間と動物とでは全然違うようだし。
2年前に読んだ、東日本大震災後被災地での様々な霊体験を聞き、亡くなった人に再会出来たという体験談をルポした「魂でもいいから、そばにいて」(奥野修司・著)も、涙なくしては読めなかったけれど、その本からも一層その思いを強くした。
色々見聞きして来て、亡くなった人や動物は愛する人達の傍らにいて、いつも見守っているという事は信じられる話だと思うようになった。
死を考えることは、より良く生きて行く為に必要な事だとよく言われるけれど、「何故生きるのか」について、寅さんの「生きていて良かったと思える、その瞬間瞬間に出合える為に生きるんだ。」という答えももちろん良かったけど、「この人生を全うするために、ただ生きるのだ。」ということも、ずっと心に残っている。
それは高校時代好きだった、ニール・ダイヤモンドの「かもめのジョナサン」サントラ盤に入っていた『Be』という曲からも、ただ存在していること自体が素晴らしく大切なのだ、ということが伝わって来て、悩んでいる時勇気をもらえたっけ。
『Let It Be』の『Be』と同じかな♪
『私は幽霊を見ない』から話が発展して長くなってしまったけれど、ここに紹介していない他の様々なエピソードと共に、このエッセイ最後の章でも、作家である著者独特な視点からの考えが面白かった。
TV番組『奇跡の星』も、毎回宇宙からの青く美しい地球が見られるのと、地球の壮大な神秘についての話が興味深くオススメだけど、この地球に自分が今存在しているっていう事実が、まさに奇跡なんだと感じさせられる。