つるひめの日記

読書、映画、音楽、所属バンド等について日々の覚え書き。

角田光代原作『愛がなんだ』☆小説と映画(ネタバレもあり)

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以前から好きな作家である角田光代の小説、『愛がなんだ』が映画になるときいて、まだ読んだことがなかったので、先月読み、更に映画も観に行って来た。

 

「私はただ、彼のそばにずっとはりついていたいのだ」ーOLのテルコはマモちゃんに出会って恋に落ちた。彼から電話があれば仕事中でも携帯で長電話、食事に誘われればさっさと退社。全てがマモちゃん最優先で、会社もクビになる寸前。だが、彼はテルコのことが好きじゃないのだ。テルコの片思いは更にエスカレートしていき・・・。

直木賞作家が濃密な筆致で綴る、<全力疾走>片思い小説!

(文庫本の紹介文より)

 

多くの人もそうかもだけど、私は昔から書店や図書館で読みたい本を選ぶ時、後ろにある簡単な内容紹介文と最初の1頁をさらっと読んでみた感じで決めている。

この小説は、好きな作家のでも、手にした時に自分にはピンと来ず読まなかったのだと思う。

 

そして今回読んでみて、さすが女性の繊細な心理描写の上手い角田さんの小説だけあって、心を動かされる言葉は色々あったけど、主人公とは世代も離れているせいか、内容には共感出来なかった。

 

なので、映画の方もブログ友達の感想を読んでフムフムと楽しむ程度に留まり、観なくていいかなと思っていたのだけど、この映画、最近若い女性中心に爆発的に人気が出て満席状態との記事を目にして、何故そんなにヒットしているのか?と興味が湧き観に行って来た。

 

休日だったせいもあると思うけど、館内は噂通りの満席で、カップルや友達同士など若い世代が圧倒的に多く、私の隣も女子高校生が部活帰りに4人でわいわい入って来て、予告が始まるまでお菓子を食べながら賑やかにお喋りしていた。

 

主な登場人物は、28歳のOL・テルコ(岸井ゆきの)、テルコが片思いをしているマモル(成田凌)、テルコの友達の葉子とその母、葉子に片思いしているナカハラ君、マモルが片思いをしているすみれさん。テルコが会社をクビになった後勤めるバイト先である健康ランドでの先輩、蒔田さん。

 

映画の方も、細かい設定は所々違っていても、ほぼ原作のイメージ通り描いていた。

でもやはり繊細な心理描写は、小説のようには描ききれていなかったけど、映画では言葉よりも、登場人物の表情から感情が上手く伝わって来る場面もあった。

テルコはマモルに異常に尽くし過ぎたり気を回し過ぎてしまい、それがマモルにとってはうんざりしてしまう気持ちもマモルの表情から良く伝わって来た。

 

成田凌は、いい加減なマモル役のイメージより見た目かっこ良過ぎたかなと思った。

テルコ役の岸井ゆきのは、朝ドラの「まんぷく」に出ていた時より、役柄のせいかずっと大人びて綺麗だった。そして小説のテルコより明るいイメージだった。

 

テルコもナカハラ君も、片思いの相手にはただの都合のいい女・男でしかなく、この葉子を挟んでの友人関係の二人の会話も色々切ない。このナカハラ君のイメージは小説とぴったりだった。

 

小説では、会社をクビになったテルコは一人寂しく会社を後にするんだけど、映画では、そのテルコを追いかけて来た同僚と公園で話をするシーンがある。

その場面で、もうすぐ結婚予定のその若い同僚女子が「男で会社を辞めるって今時無いですよ、バカですねぇ。でも(その行動が)ちょっと羨ましいです。」と言ったことに対してテルコが「自分にとっての世界は、好きな人と、どうでもいい人に分かれる」というのだけど、その「どうでもいい」に対して、同僚が「自分自身に対してもですか?」と問いかけた一言は、観ているこちら側もはっとするような言葉で印象に残った。

 

マモルが片思いをしている、一見ガサツで崩れた感じの姉御肌すみれ役を演じた江口のりこさんは、小説のすみれのイメージよりずっと大人びた印象だったけど、その人柄がより伝わって来て独特な存在感を放っていて好感持てた。こんな友達が側にいたら、刺激的で面白いだろうなぁと思う。

 

そのすみれはマモルには冷たく、テルコには好感を持ってくれて色々仲間内での遊びにも誘ってくれるのだけど、その場で披露される、恋人に対する男性の態度は2パターンあるとのすみれの持論は、まさにあるあると頷けた。

 

また映画では、小説にはない、小学生時代のテルコが現在のテルコに本音を言ったりする幻想場面も面白いと思った。

 

マイナスな部分も含めてマモルを好きになったのだから、嫌いになれる筈がないと言うテルコ。仕舞いには、自分を捉えて離さないものは、たぶん愛でも恋でもなく、自分の抱えている執着の正体が何なのか分からなくなるけど、もうそんな事はどうでもよくなっているテルコは、ずっとマモルの側にいるためにある手段を選ぶ。

その行動も私には到底理解出来なかったけど、映画では、その場面でマモルやすみれと道で別れた後、二人をそっと振り返って見た時のテルコの表情から、痛々しいほどの気持ちが伝わって来た。

 

映画の最後で唯一救われたのは、葉子とナカハラ君との関係は、映画のラストでは明るい兆しが見えたことだ。

小説では、報われない恋にきっぱり諦める決断をして、ナカハラ君は、同じ片思い同盟であるテルコの前からも去って行くのだけど。

 

この物語にはやはり共感出来なかったけど、この文庫本の島本理生の後書きにはとても共感出来たので、抜粋しておきます。

多くの映画やドラマと違って、現実はもっと情けない。執着や嫉妬にまみれたり、なんとかそこから逃げようとして冷静を装ってみたり失敗したり、そんなふうに足掻くたび、理想と現実のギャップに愕然とする。

だけど角田さんは、そんな風にかっこいいドラマになれない人達をあえて書く。だから、読むたびに本音を言い当てられた気持ちになったりかっこよくなれない人に安堵する。

かっこ悪い姿は、煩わしくもあるけど、それと同時に愛しくもあったりする。なぜならそんな風にかっこ悪い姿こそ、生身の人間らしさであり、自分らしさというものなのだから。

 

この映画が若い女性中心にウケているのは、観終わった後、自分の経験も踏まえて友達同士で愛について色々語り合えることにあるそうだ。

また、読者や観客がそれぞれ自分に似ている登場人物に自己投影して、この島本さんの後書きにもあるように、本音を言い当てられたり、かっこ悪さに共感出来たり、感情移入出来ることにもありそうだ。

 

片思いは誰にでも経験があるし、自分もこの小説を読んだ後、テルコの行動には共感出来ないと思いつつ、心に響く台詞や言葉はあった。

 

 映画のラストでやはり小説には登場しない、「まだ田中守にはなれていない」という言葉と共に、象の飼育員をしているテルコの孤独そうな映像が映り切なくなった。

33歳になったら仕事を辞めて別の仕事をすると言っていたマモルの口癖の一つが象の飼育員だったので、少しでもマモルを側に感じていたい33歳になったテルコの姿なのかなと思った。

 

老婆心ながら世間並な感覚で考えれば、テルコはまだまだ若いのだし、マモルへの気持ちは時間の経過と共に薄れて行くだろうし、きっとテルコを愛してくれる相思相愛の相手が見つかるだろうから、さっさと気持ちを切り替えてと言いたいところだけど。

まぁそんなアドバイスは、失恋の達人である寅さんが聞いたら、「それを言っちゃあ、おしまいよ。」って、一蹴されてしまうのかな(笑)

 

「愛がなんだ。」「男がなんだ。」という感じで、肩で風切る勢いで生きていって欲しいけど。

 

余談ですが、角田光代の『幾千年の夜、昨日の月』という文庫の後書きは、やはり若い作家である西加奈子が書いているのだけど、そこに角田さんが仕事場で開催する飲み会に西さんがよく呼ばれ、酒豪の角田さんのエピソードが書かれている。

角田さんは自身の手料理をたくさん並べ、ワインセラーのワインを大盤振る舞いし、まめまめしく働きながらご自身が一番酔い、正体が無くなるほど酔うのだそうだ。こんな真っさらな剥き出しの人に私は会ったことがない。とあった。

 

この小説でも飲んで酔っている場面が多く登場し、どれも生き生きとリアル描かれているので、映画を観るまでは、テルコは角田さんの顔がだぶりそのイメージで読んでしまっていた。

角田さんちの飲み会、楽しそうだな♪

 

 

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